今回のいい寺は・・・・
安芸の宮島です♪
宮島といえば厳島神社ですね
厳島神社は、前面の瀬戸内海、背後の弥山を合わせて
1996年に世界文化遺産に登録されました
1996年に世界文化遺産に登録されました
本殿から見上げる弥山に神様が降りてきて、宮島全体が
神と考える自然崇拝の神社となっているそうです
神と考える自然崇拝の神社となっているそうです
宮島口からフェリーで10分
厳島神社のシンボル、水上の鳥居を目印に
宮島に向かっていきます
厳島神社で琵琶法師に語られた「平家物語」
平家の盛隆期を築いた平清盛は、安芸守に就いた
時に瀬戸内海の利権を手に入れて宮島の厳島神社
を信仰しました
時に瀬戸内海の利権を手に入れて宮島の厳島神社
を信仰しました
その後、平家は都の主要官位を独占して莫大な富を
築きましたね
築きましたね
「平氏にあらずんば人にあらず」
宮島の紅葉のように華やか時代を築きましたが
「おごれる人も久しからず」
平清盛亡き後は落葉の如く平家一門は散って
いきましたね
いきましたね
源氏によって壇ノ浦で滅んだ平家の後、厳島神社と
大きな関わりを持ったのが毛利元就です。
大きな関わりを持ったのが毛利元就です。
毛利元就は室町時代後半から戦国時代に安芸の
領主となった戦国大名です。
領主となった戦国大名です。
当時、中国地方に勢力を持った大内氏と実権を
握っていた家臣の陶(すえ)家が絶大な力を持って
いました
握っていた家臣の陶(すえ)家が絶大な力を持って
いました
その陶家に毛利元就は挑んで、厳島で合戦が
行われました
行われました
通称「海の桶狭間」と言われた合戦です
多勢の陶軍に無勢の毛利元就は奇襲攻撃を
仕掛けて勝利をつかみました
仕掛けて勝利をつかみました
毛利元就は大内氏も討って、中国地方全域を
手に入れて、毛利家は西国一の大名になっていきます。
手に入れて、毛利家は西国一の大名になっていきます。
この時に活躍したのが、毛利元就の三兄弟、
長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景でした。
翌年に毛利元就が三兄弟に宛てた「三子教訓状」で
毛利家繁栄のため吉川、小早川両家で支える事
毛利家繁栄のため吉川、小早川両家で支える事
厳島神社を信仰する事を命じています。
この三兄弟の和を大切にして毛利家を支える・・・
一本の矢では折れても、三本の矢を束ねれば
折れない「三本の矢」の逸話として今に伝わって
いますね
いますね
毛利元就は厳島神社を信仰して平清盛が造営した
社殿の改築や本殿の遷宮を行ったそうです
社殿の改築や本殿の遷宮を行ったそうです
毛利元就は一族の和と信仰を大切にすれば
毛利家は安泰と信じていたのでしょうね!
しかし、、関ヶ原の合戦で徳川家康の策略によって
三本の矢は、バラバラにされてしまいます
吉川、小早川両家は徳川方の東軍に寝返り
毛利輝元は西軍の総大将に担がれた結果、敗戦の
責任で領地が長州一国となってしまいました
責任で領地が長州一国となってしまいました
強固に思われた結束力も気を付けないと一瞬にして
崩れてしまうかもしれません
その後、小早川家は絶え、吉川家は末代まで
恨まれたそうです
恨まれたそうです
そんな歴史がある宮島に上陸です