今回のいい町は・・・
飛騨・千光寺の円空さんです♪
独得な雰囲気を醸し出す円空仏
円空さんは、江戸初期に全国各地を行脚した
修験道の僧侶です
30歳を過ぎてから12万体もの仏像を彫ることを
発願したそうです
発願したそうです
仏師の心得があるわけではなく、宗教者として
信仰と布教の為に彫った仏像はそれまでの
概念を越えたものでした
信仰と布教の為に彫った仏像はそれまでの
概念を越えたものでした
仏像の彫刻と修験道は一体のものでした
「厳しい修行をしたからこそ温和な顔立ちの仏さん
が彫れたのでしょう」と解説する方もいます
が彫れたのでしょう」と解説する方もいます
円空さんが最初に向かった修行の場は
遠く離れた蝦夷の地でした
噴火する有珠山を選んだのです
そして、円空さんは、民衆を苦しみから救うために
ひたすら観音菩薩像を彫りました
その後、諸国を行脚する中で作風が変化していき、
次々に新しい仏像が生まれました
千光寺の金剛神は、円熟期の円空仏です。
ナタで刻まれた風貌は大胆で力強いですね
千光寺を開いた両面宿儺(りょうめんすくな)像も
独得な風貌で荒々しく力強い姿で刻まれていました
飛騨の地を開拓した縄文人・両面宿儺
縄文人の系譜に属する蝦夷の人々
このつながりが、円空さんをここへ導いたのでは・・・
だから円空仏は自然に近い姿なのでしょうか
それを感じられるような、立木に直接ナタを振り下して
彫られた仁王像があります
彫られた仁王像があります
自然の中から仁王さんが出現したようです
円空さんは、この自然界の中で信仰を見出し、より
自然に近い形で仏の姿を表そうとしたのでしょうね
自然に近い形で仏の姿を表そうとしたのでしょうね
自然が豊かな飛騨の地
円空さんのやさしい笑顔に、私までやさしい気持ちに
なれたような飛騨・千光寺でした。
なれたような飛騨・千光寺でした。