カンボジア(10)遥かなるアンコールワット

今回のいい町は・・・
遥かなるアンコールワットです♪

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「もし、うまく地雷を踏んだらサヨウナラ」
の手紙を残して、ポルポト派の支配地
アンコールワットに向かった一ノ瀬泰造さん
最後に撮った遺跡の写真です

 

 
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戦火のカンボジアでフリーカメラマンとして活躍した
彼は、近くて遠いアンコールワットに憧れていました
 
26歳の誕生日を迎えたばかりの1973年11月に
単独潜入を試みて消息を絶ちました
 
 
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アンコールワットポルポト派の拠点として
難攻不落の要塞となっていた遺跡です

彼は、この風景を目にすることが出来た
のでしょうか・・・

 

 

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ジャングルに囲まれた地で、遺跡を守ろうと
修復工事にあたった人達も行方不明になりました

 

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ポルポト派に占拠された遺跡は、仏像が
破壊されるなど内戦の傷跡が多く残りました。

 

 
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「将来は、カンボジア人の手で修復したい」
と不明になった保存官がいっていたそうです。

 

その意志を継ぐように修復工事が再開しました

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珍獣ナーガの欄干は、元の場所に戻り

 

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石畳も敷き直され、日本人の協力によって
修復が進んでいます
 
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アンコールワットと日本人の関係は、江戸時代初期
まで遡ります
 
この地を訪れた加藤清正の家臣は、両親の供養
のために仏像4体を奉納しました。
 
そして、回廊に落書きを残したそうです
 

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徳川家光は、家来を派遣しました
 
当時のカンボジアは南天竺と呼ばれ、ここが
仏教聖地の祇園精舎と思われていたのです

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いつの時代も私たちを魅了するアンコールワット
 
そして、国民の誇りであるアンコールワット

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ある時は密林にうもれ、またある時は内戦
より危機に瀕していたけれど、今、多くの人々
の手によって再生されつつある東洋の宝物

志半ばで亡くなったカンボジアの方の想いを
背負って修復と保存に情熱を注ぐみなさんの
応援をしたいですね!

 

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