今回のいい寺は・・・
「醍醐の花見」こぼれ話です♪
吉野の花見の三年後に、豊臣秀吉は数人の家来を
引き連れて、ふらっと醍醐寺を訪れました
その場で、三宝院造営の寄進を申し出たそうです。
三宝院の建物や庭の造営は、すぐに始められました
当時の醍醐寺は、応仁の乱で焼失してしまい、ほとんどの
伽藍が残っていませんでした
その他の伽藍も、豊臣秀吉の命によって整備されました。
※五重塔は焼失を免れた創建当時の唯一の建物です。
そして、翌年には有名な「醍醐の花見」を行いました。
発願してから、あっという間に伽藍を建立し、盛大に
花見を催しました
このときには、自身の死期が近づいている事を察して
いたのでしょうか・・・
半年後に豊臣秀吉はこの世を去りました
華やかな花見でしたが、桜ゆえに寂しさを感じるところが
ありますね・・・
豊臣秀吉が建立した三宝院・弥勒堂の屋根です。
破風板の中央の飾りに菊の紋、両側の飾りに桐の紋が
施されています
菊は皇室の紋で、桐は豊臣の紋だと思っていましたが、
本来は両方とも皇室の紋だそうです。
豊臣秀吉は、関白の職に就いてから、公家の身分として
桐の紋を使用しました。
今は、国家の紋として日本政府が使用していますね!
豊臣秀吉は、伏見城で亡くなりました。
伏見城は、関が原の合戦の折に西軍方に攻められて
焼失してしまいました
徳川家康によって再建されましたが、後に廃城となりました・・・
その後、廃城の跡地が桃畑となった事から、豊臣秀吉の
時代の文化を伏見の地に因んで『桃山文化』というように
なりました
寺院を巡っていると意外な事を知ったり、思い違いに
気付くこともあります。
醍醐寺についてはまだまだ調べてみたいとおもいます♪
次は「桃山文化展」を行っている名古屋の『徳川美術館』に
行ってみます