今回のいい寺は・・・
奥三河にある鳳来寺山です♪
飯田街道、三州街道、塩街道と呼ばれる愛知県三河と
長野県伊那谷を結ぶ道があります。
戦国時代に甲斐・武田氏が天下を取るために通った道
です
この街道沿いの長篠城をめぐって織田・徳川軍と武田軍
が戦った長篠の合戦の地として有名です。
この長篠城の近くに鳳来寺山があります。
山水画のような風景のなかで1300年前に利修仙人が
修行していました。
利修仙人は奥三河の山深いこの場所で山々を駆け巡り、
修験道の道場としました。
大自然の中、自らの心身を限界まで追い込み、この体験の中で
教えを得ていくのが修験道です。
利修仙人は修験道を行うなかで、鳳来寺を開き、自ら彫った
薬師如来を祀りました
鳳来寺山は信仰の山としても多くの人々が訪れて
います
漂泊の俳人・種田山頭火もこの地を訪れ詠んでいます。
鳳来寺山の参道や山々に御仏の存在を感じたのでしょう。
奥三河の山々に生息するコノハズクです。
頭に耳のような羽があるフクロウ科の鳥で「ブッポウソウ」と
鳴きます。
鳳来寺山のいたる所にコノハズクのキャラクターグッズがありました。
鳴き声の「ブッポウソウ」が「佛、法、僧」と聞こえることから
鳳来寺山にふさわしい鳥(マスコット)となったのでしょう♪
今では愛知県の鳥となっています。
NHKのみんなの歌で「鳳来寺山のブッポソウ」という歌が
ありました。
村人は“ブッポウソウ”という名前の鳥が「ブッポウソウ」と
鳴いているのだと勘違いしていました。
しかし、実際にそう鳴いていたのはコノハズクでした!
コノハズクは、鳴き声の正体をブッポソウと間違われた
ことが面白くなくて、鳳来寺山から逃げてしまいました
そこで、子供たちとブッポウソウがコノハズクに帰ってくる
ように語りかけました。
夜になるとコノハズクが戻ってきたという内容です。
実際に鳳来寺山の開発の中で、コノハズクの姿が
消えたという時期もあったそうです
鳳来寺山の門前町を過ぎ、いよいよ参道の石段を
登る入口に蔦とコケに覆われた石仏がみえました。
両手で桃の形の宝珠を抱えた仏様が、山中に入る
私達が無事に登っていけるようにと見守っている
ようでした♪
鳳来寺へ登る1425段の石段です
鳳来寺の本尊・鳳来寺山峯薬師は、昔から子授けの
薬師如来として有名でした
この道を登って、源義経と恋をした浄瑠璃姫の両親や
徳川家康の母・於代の方が子授かりの祈願に
訪れたそうです
鳳来寺の本堂です。
薬師如来が祀られています。
徳川家康の生母が薬師如来に参詣して、徳川家康を
授かったという伝説から、鳳来寺山東照宮が創建され、
鳳来寺も幕府の手厚い庇護を受けて栄えたそうです。
明治になって廃仏稀釈によって鳳来寺と東照宮は
離れてしまいました
そして鳳来寺の寺領は没収されてしまったそうです。
本堂の周りに鏡が付いた「鏡絵馬」が沢山奉納して
ありました。
薬師如来に祈願する際は鏡を奉納する習わしがあるそうです。
皆さんの願い事を鏡に映して、叶えてくれるそうです
鏡からはみ出すほど欲張って願いを書くと、叶わない
ということでしょうか!!
さらに石段が続いています
本堂の裏には、弘法大師堂、開山堂があります。
開山・利修仙人を祀るお堂です。
瓦には葵の紋が入り、徳川幕府の庇護を受けた
面影がありますが、屋根一面に生えた草が明治
以降の衰退を如実に表していますね
石仏の観音様は、風雨にさらされながらも私達を
迎えてくれます。
右手で拝み、左手に蓮の花を持っています。
キレイな蓮の花も時間が経てば枯れていきます。
徳川家という大きな支えによって栄えたお寺も、その
支えを失った事により衰退し、自然に朽ちる道を
辿るのでしょうか・・・
私は、《朽ちる》とは、自然に還ることだと思います。
大木が倒れて朽ちた上に新しい芽が吹き、その木から
養分を頂いて育つ
鳳来寺も同じように建物が朽ちてしまっても、そこで終わり
ではないでしょう。
この姿を見た人の中から信仰の新しい芽が出たら良いですね
鳳来寺山は東海自然歩道に含まれていて、ハイキングの
方がよく訪れるそうです
信仰から行楽に形が変わっても、ここを訪れる人の心
は、この自然の中で澄みわたるでしょう
次は鳳来寺山・東照宮に行ってみます