今回のいい寺は・・・
鳳来寺山東照宮です。
鳳来寺山は修験道の道場として、峯薬師を祀る
信仰の山として多くの参詣者が訪れました
昔は、麓の門前町も賑わったのでしょう。
今は、鳳来寺山パークウェイが通り、門前町から
石段を上らずに簡単にお参り出来る身近な行楽地
となっています
種田山頭火の旅日記で鳳来寺山を訪れたときの一文です。
一苦労して鳳来寺山を登った方が、自然に触れることが
出来、この山の本来の姿が見えてきますね
便利な世の中になっても、何か失ったものがあるような
気がします。
石段を上ってお参りする方に楽しんでもらおうと、
参道には色々なモニュメントがありました。
徳川家康とコノハズクを表現した斬新なデザインの
石像がありました
ともに鳳来寺山を代表する存在ですね。
鳳来寺山には、日光、久能山と並ぶ東照宮があります。
東照宮縁起には「家康公の父君広忠公が、良い世継ぎを
得たいと思われ、北の方(於大の方)とともに鳳来寺に
参篭し、祈願したところ、その効あって家康が授かった」
と記されています
3代将軍・徳川家光が日光東照宮を訪れた際に、
東照宮縁起を目にし感銘を受け、鳳来寺山東照宮
の建立を発願したそうです。
4代将軍・徳川家綱の時代に完成してから、明治になって
神仏分離令が出るまで、神仏一体制のもとに祭事
その他一切を鳳来寺が行っていました。
鳳来寺は寺領を没収されて衰退しているのに対して
東照宮は今でも極彩色の鮮やかな社で、管理が
行き届いています。
東照宮と鳳来寺が分かれてから辿った道は対照的ですね。
社の周囲には、立派な灯篭が並んでいました。
大名が参詣の記念に奉納した灯篭です。
信州・善光寺や京都・北野天満宮でもそうでしたが
昔は灯篭を記念に奉納する習わしがあったのですね。
拝殿前の狛犬の横に丸い石が置いてありました。
戦場に向かう兵隊さんが、お守りにするために削った
狛犬だそうです。
徳川家康の長篠の合戦の勝利にあやかりたい気持ち
からだったのでしょうか。
家族が無事に帰る事を願って削ったのかもしれませんね
鳳来寺山の参道の傍らに阻師堂址の石碑がありました。
元々は利修仙人が鳳来寺を開き、峯薬師を中心に栄えた
山です。
世の中の流れが変わって、鳳来寺山は本来の姿とは違う
ものになってしましましたね。
崩れかけた石垣が、なんとか踏ん張っているようです。
外れてしまった石垣は、元には戻りません
世の中の変化に流されないで残ることは大変な
ことですね。
鳳来寺の宿坊です。
だいぶ傷んでいて今は使用していないようです。
昔は幕府の庇護を受けて立派な伽藍と塔頭寺院が
あったそうです。
多くの信者が訪れて宿坊に泊まり、早朝のお勤めに
参加したのでしょうね。
鳳来寺山の昔の賑わいを見てみたいですね
眼下に鳳来寺山の門前町が見えます。
門前の人々は、山々に囲まれたなかで、鳳来寺山を
信仰して、参詣者を迎えるという昔ながらの生活を
しています。
しかし、開発により車で境内まで行けるようになり、
人の流れが変わってしまいました。
そこで新たな取り組みも行っています。
みなさんの努力によって門前町に活気が出れば
良いですね!
次は、山に囲まれた中で徳川時代に天領として栄え、今でも
伝統を守り活気のある町大分県日田市に行ってみます♪