山口・萩城を散策♪

今回のいい寺は・・・
山口・萩城を散策しました♪

萩城は長州藩初代藩主の毛利輝元が創建した
お城です

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中国地方全体に勢力を持っていた毛利輝元
関ヶ原の合戦で敗退した西軍総大将になった
責任で領地が120万石から37万石になりました
隠居所としてこの萩城を創建したそうです。

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江戸時代の萩城は賑やかだったでしょうね
幕末にはこの場内で藩主を中心に尊王攘夷
ついて語り合ったのかなーなんて想像が膨らみますね!

明治7年の廃城令によって萩城の建物は壊され
今はお堀と石垣が残っているだけです

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ひとつひとつの石が大きくて、石段をのぼるのも
結構大変です

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石垣を登るとさわやかな風が吹いていました

後ろに見える山が指月山です
指月山の中腹にも楼閣があり、山城と平城が合わさった
平山城だったそうです。

夜になるとこの山の向こうにお月さまが見えたり
するのかなーー♪

<指月の意味>

母親が赤子に月(大切のもの)を見せようと
指さしても、赤子は月を見ないで母親の指
ばかり見ます。
赤ちゃんにとっては、何よりもお母さんが一番
大切ですよね

そして成長するにつれて色々なものが見える
ようになるのでしょうね。

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秋は穏やかな気候でお出かけするにはぴったりの
季節ですね
どこに出かけたかよりも、家族で出かけるという
事が大事ですよねーー♪
私も家族ができたらいっぱいお出かけしたいです

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一生懸命石垣を登ると見晴らしがいいですよー
お城の周囲も緑に覆われていました

長州藩は関門海峡で外国船に砲撃をした年に
密かに藩庁を現在の山口市に移したそうです。
沿岸部では外国軍の攻撃を受けるので海岸から
離れた場所を選んだのでしょうねー

新山口の駅で新幹線を降りてから萩市内までは
バスで1時間程でしたよ

江戸時代は萩が長州藩の中心地でしたが、明治以降は
山口市が行政の中心となって発展しました。
そして、萩に城下町の町並みが残りました

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指月公園内に13代藩主・毛利敬親の別邸 花江御殿
の茶室「自在庵」があります。
こうゆう建物は見るだけでも和みますね~

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邸内ではお抹茶を頂けます
幕末の多難を乗り越えた藩主と家臣についての
お話もきけますよ。

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毛利敬親は幕末の多事多難の中、分家の藩主や
家臣とお茶の時間を設けました
彼は格式を捨てて世の中について論じ、国事を
画策したそうです
藩主と家臣の信頼関係は膝を交えた話し合いの中で
築かれていきました

松下村塾で芽吹いた維新の風は藩主を動かし、
このお茶室で練り上げられたのでしょうね!

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海外からの開国の圧力を受けるなかで、長州藩は
日本の未来を考えていたのでしょう

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風化した灯籠に苔がいっぱい生えていました。
どっしりとして、自然の流れに身を任せたような
石の灯籠ですね
 
時のリーダーとなる人は、動じない安定感
道を決める力が求められると思います。
 
藩主にとって山口に藩庁を移したことは大きな
決断だったでしょう。
時代の変化のなかで、リーダーとなる人は道を
決める責任がありますよね
 
如何に部下を信じ部下の意見を聴くか・・・
その上で、自分で如何に決断するか
 
いつの時代でも決める事と責任を取る事が
リーダーの役目ですよね
 
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