今回のいい寺は・・・・・
京都・金閣寺です♪
日本の美を表す象徴的な寺院ですね
静寂のなかで輝きが増す 雪化粧の金閣寺!
残念ながら、その姿には、なかなか会えませんが
雪の舞う日にほのかな期待を持って
行ってきました
参道を歩むうちに残念ながら、雪は止み
日が差してきました
日が差してきました
足利3代将軍義満が邸宅・北山殿が建立
されてから600年。
参道の大木がその歴史の深さを表しています
京都の各地を巡ると着物姿の方とよく会います。
落ち着いた柄の着物が古都にとっても似合いますね
金閣(舎利殿)に日が差し、鏡湖池の水面に
映し出されていました
映し出されていました
池に浮かぶ大小の島々
背景には衣笠山
池と緑に囲まれた金閣
この境内は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で
浄土の世界を表現しているそうです
足利義満は船を浮かべて歌を詠み、優雅な
暮らしをしたのでしょうか・・・
暮らしをしたのでしょうか・・・
ちょっとうらやましいですね
実際には将軍職を嫡男に譲った後も、北山殿で
政治を司ったそうです。
政治を司ったそうです。
対明貿易の特使を迎えて宴を催し、様々な文化を
集めて北山文化を築きました
集めて北山文化を築きました
一層目の観音菩薩の横に祀られた足利義満の
木造が見えます
木造が見えます
金閣の構造は寝殿造風の初層、武家造風の中層、
そして唐様仏殿と三層の楼閣からなっています
そして唐様仏殿と三層の楼閣からなっています
足利義満の遺言により寺院となった当初は、
一層に釈迦三尊
二層目は観音殿
二層目は観音殿
三層に仏舎利が安置されており、
金閣は舎利殿と呼ばれたそうです
※大阪四天王寺の五重塔・最上層部にも
仏舎利が祀られていましたよ~
創建当時の金閣(舎利殿)は、昭和25年の放火
により焼失し、現在の金閣は昭和30年に再建
されたものです
により焼失し、現在の金閣は昭和30年に再建
されたものです
もちろんその時代に私は生きていませんでしたので
修学旅行で初めてみた金ピカの金閣が一度焼失
してしまったことを知り驚きました
修学旅行で初めてみた金ピカの金閣が一度焼失
してしまったことを知り驚きました
放火犯は、なんと金閣寺の弟子でした
その事件により、本来、お寺という静寂の中に存在する
はずの金閣が、「野心、権力、幸福、富、才能、見栄」
という金色の持つイメージで強調されてしまいました。
金閣の炎上を取り上げた作家といえば三島由紀夫と
水上勉ですね
三島由紀夫は、色あせない絶対的な金色に対しての
美意識と、ハンディを負った放火犯の葛藤に着目し、
一方水上勉は、放火犯の貧困の中での生い立ちと
母子の関係に着眼しました。
その底流には敗戦直後の疲弊した社会があったの
でしょう。