水上勉の世界

今回のいい寺は・・・
水上勉の世界です♪

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日本海に面した若狭地方
波の荒い暗い海と、雪深い山のイメージですね

この若狭の本郷村岡田というところが水上勉
故郷です。

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水上勉の父親は暇な田舎大工

母親は生計を立てる為に小作の手伝いをしながら
5人兄弟を育てたそうです

水上勉は次男で家計を助けるために相国寺瑞春院
小僧に出されます。

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わずか9歳で仏門に入った水上勉・・・
裕福な生活をする寺の人々の中で、多くの矛盾を
感じたのでしょう。

お寺を飛び出してしまいました!!

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とある子供の修養会で作法を教える和尚さんが
いました
ひとつひとつを丁寧に指導していていました
子供に対しても温かい心を持って接しているのを
感じました。

昔の徒弟教育は奉公人のように扱い、大切に
育てることはありませんでした

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水上勉と同じ若狭の出身で同じ相国寺の末寺で
小僧生活をし、同じ旧制・花園中学を卒業した
10歳年下の後輩・林養賢

林養賢が金閣寺放火事件を起こしたことは、水上勉
にも大きな衝撃を与えたようです

事件を描いた作品に「金閣炎上」、「五番町夕霧楼」と
二つあります

「金閣炎上」では同郷の先輩として記録的に淡々と
描き、「五番町夕霧楼」では学僧の内面を描きました

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五番町夕霧楼」の舞台となった場所が今でも
あります。

昔は北野天満宮付近の上七軒のお茶屋が旦那衆
五番町が職人の遊び場でした。
この近くの千本通り沿いが学生のたまり場だった
そうです。
今は、河原町先斗町が一番賑やかですよね

井筒八ツ橋の「夕子」は「五番町夕霧楼」の
主人公の名前からつけられたそうですよ~

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水上勉が世話になった瑞春院金閣寺は同じ
相国寺の末寺です。

金閣寺の鏡湖池を境に対岸から見た風景です
背景に衣笠山、緑に囲まれた金閣寺
緑に映える金閣も、真白な雪の中に輝く金閣も
ステキですよね

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金閣の裏手を登ると「安眠沢(あんみんたく)」と
呼ばれる池があります。
日照りが続いてもかれなかったそうです!

昔は、日照りが続くと農夫がここで雨乞い
したそうですよ~

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水上勉は華やかな京都に来たとき、寒村の
故郷との違いに驚き・・・
坊さんが嫌いだ~
寺が嫌いだ~~~ と思いました。
そんな感情が初期の作品に影響しているようです

ある時、水上勉が若狭出身の僧侶に出会います。
これまで批判的な感情を持っていたけれど、
その出会いによって考え方が一変したそうです。
それは「破鞋(はあい)」という作品の中で述べられて
います。

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出会いによって考え方心の持ちようが変わる
ということってありますよね!
生き方まで変わるほどの影響受けることも
ありますね

考え方が変わるとが変わり、自分の周りの
環境までも変わることも

京都・瑞春院についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/74/

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