今回のいい寺は・・・・
京都府・舞鶴市・安岡です♪
「金閣炎上」の主人公、林養賢が暮らした
舞鶴市安岡を訪ねてみました
早朝の西舞鶴駅から見た景色です
暗いうちから通勤通学の乗客が構内で
暖をとっていましたよ~
暖をとっていましたよ~
林養賢が通った旧制・東舞鶴中学は
東舞鶴駅と松尾寺駅の間にありました
車窓から眺めた風景の左側に現在の
東舞鶴高校があります
東舞鶴高校があります
安岡を訪ねた時は、ちょうど雪でした
集落の入口に祀られた石のお地蔵さま
雪に埋もれないように小さな御堂に
納められています
この御堂は山手に在る林家の菩提寺
この菩提寺で林養賢の父は仏門に入りました
今は空寺で廃墟となっているそうです
ここまで来たので訪ねてみたかったのですが、
「参道は雪深くてとても行けません」
と止められてしまいました
父の実家に下宿した林養賢のもとへ、母は日傘を
さして一日がかりで歩いて往復したそうです
さして一日がかりで歩いて往復したそうです
半島の先端にある西徳寺に入寺した父・・・
そこに25歳で嫁いだ母
そこに25歳で嫁いだ母
寒村の小さなお寺で苦労が多かったので、
母は「息子を金閣寺へ」という思いを
募らせていったのでしょう。
募らせていったのでしょう。
林養賢は、中学生の時に父を喪い、西徳寺から
母と一緒に出ていきます
母と一緒に出ていきます
その後たどった道に、悲しい結末が
待っているだなんて思いもせずに
待っているだなんて思いもせずに
黄金に輝き私たちを魅了する金閣
この輝きが心を惑わしたのでしょうか
金閣炎上の悲劇の後、母子は父の眠る西徳寺で
一緒に眠ることも叶いませんでした
一緒に眠ることも叶いませんでした
今、林養賢と母は父の実家の墓所で
眠っています
林養賢は収監された後に病気となり、刑期を終えて
すぐ亡くなってしまいました
すぐ亡くなってしまいました
僧籍から離れて付けられた戒名です。
下の3文字で林養賢と分かりました
母の墓です
息子に面会を拒絶され、失意の中で
命を絶った母・・・
命を絶った母・・・
どなたが戒名を付けたのでしょうか
「闇夜を照らすお月様のように、一人きりになった
息子養賢を慈悲の明りで包んで下さい」
と願っているような気がしました
息子養賢を慈悲の明りで包んで下さい」
と願っているような気がしました
「慈照」といえば、銀閣寺の正式名は
「東山慈照寺」です
「東山慈照寺」です
銀閣寺(慈照寺)は金閣寺と対照的に、輝きよりも
心が落ち着く静寂な場所のような気がします
心が落ち着く静寂な場所のような気がします
母親にそのような場所で眠って下さい
という意味も含まれているのでしょうね。
金閣炎上の事件は真夏の暑い季節でした
でも、放火犯・林養賢を知るには真冬の若狭が
イメージにぴったりだと思いました
イメージにぴったりだと思いました
人間の心のように燃える暑さの京都と
生活の苦しみを感じた寒い若狭
大変な環境や状況の中で頑張っている人って
たくさんいるんだよ、と教えてくれた人がいました。
どんな境遇に生まれても、又、恵まれた境遇で
あっても、その人の努力によってどんな人生にも
舵取りをしていけると思います
心の中にある優しさや強さを引き出して、
前向きに生きていくことが大切だと感じました
次は、活気あふれる冬の錦市場をブラブラ
しまーす
しまーす