今回のいい寺は・・・
夜明け前☆島崎藤村のふるさとです♪
木曽の宿場町・馬籠は小説家・島崎藤村の
生まれ故郷です。
今日はちょこっと歴史のお勉強です
島崎藤村の先祖が馬籠の町を開き、
庄屋、本陣、問屋を代々務める名家でした
小説「夜明け前」の中では、宿場の人々の暮らしや
街道を行きかう伝馬や飛脚の様子が語られています
上方と江戸を結ぶ中山道
「江戸で起きた事は上方より早く
上方で起きた事は江戸よりも早く」ってね
最新情報が馬籠に届いていました
わらじで走って足が痛くならないのかな??
江戸時代の中山道は「姫街道」と呼ばれていました。
大きな川などの難所が少なかったので、東海道に
比べて女性の利用が多かったそうです。
幕末に天皇の妹・和宮もここを通って徳川家に
嫁入りしました
妻籠宿で大名風呂を発見!
東海道だけでなく、中山道も参勤交代に
使われたのですねー
幕末になると参勤交代が無くなり、幕府が国の
統治権を朝廷に返上しました(大政奉還)。
江戸を出て地方に帰っていく人々がたくさん
いたことでしょう。
街道の雰囲気や人の流れが変わっていきました
世の中がガラっと変わっていくのに敏感だったのが
島崎藤村の父親でした
父親は祖父の勧めで馬籠の麓、美濃の中津川で
平田派の国学を学びました
平田派の国学は、仏教や儒教の影響を受ける前の
日本固有の神を祀る精神に戻ろうという思想でした。
平田派の国学者は「王政復古」を唱え、この考えが
広まり人々は明治維新に向けて進んで行きました。
「明日、最も古くて(王政復古)、しかも最も新しい太陽
(明治維新)はその明日にどんな新しい古(いにしえ)を
用意してこの国の人々を導いていってくれるだろう。」
と藤村の父親は期待に胸を膨らませましたが・・・
明治政府の「御一新」の方針により徳川の代に
築いたものが次々と消えて行きました
宿場の問屋の廃止、年寄役の廃止、
革新につぐ革新、破壊につぐ破壊
父親は、復古の大事業が始まったことを説き、
この改革の趣旨がもっと世の中を明るくするため
であることを村民に説きましたが・・・
民意の尊重を約束して出発した明治政府でしたが
木曽の森林を国有化してしまいました
徳川時代には許された伐採を認めなかった
そうです
街道での収入を絶たれた村民の唯一の収入源
までも奪われてしまいました
理想とした時代が到来すると信じた父親の
期待は裏切られ、この国の夜は違う方向に
明けてしまいました。
「小さな水たまりに、大きな空をうつす。」
木曽谷で起きたことは、全国各地でも同じように
起こりました。
世の中が変わることは、良い事ばかりでは
ありませんね
この変化は、文化や宗教界に大きな影響を
与えました。
西洋のものがどんどん入ってきて文明開化が
起こり、神道を中心にした国づくりのために、
他の宗教を排除するという廃仏毀釈が行われ
大きな波が押し寄せました
自分と違うところを認めるのって難しいのかな?
次は島崎家の菩提寺・永昌寺に行ってみます