丘の上から海を見つめる聖ヨハネ五島
長崎市・西坂で殉教した26聖人のひとりです。
キリシタン弾圧時代に大阪で捕らえられて、
わずか19歳での殉教でした。
彼は伝道師になろうと五島を離れて
迫害にあいました
今は、カトリック信者によって彼の像が建てられ
信仰の象徴となっています。
丘から眺めた水ノ浦の風景です
入江の海は静かで、穏やかな暮らしを想像して
しまいます
五島の人々は半農半漁を糧にして信仰を守って
いるそうです
イエスが伝道したガリラヤ湖畔もこのような
穏やかな場所だったのでしょうか?
遠藤周作の「イエスの生涯」でガリラヤ湖畔の
伝道が語られています
イエスは徒歩で村から村へと歩かれた
船でこの岸からあの岸へと渡られた
冬がすぎ湖畔に春が訪れ、そして陽の光を
受けて湖は穏やかであり、岸辺にはコクリコ
の赤い花が咲き乱れる
ガリラヤの春
自然は美しいのに、村や部落で彼が目撃したのは
人間の悲しい現実でした
イエスが布教のために訪れたのは、貧しい人々の
住む村でした
そして、その貧しい人が、家族や隣人にも見離された
病人や、不遇の人々を蔑む姿がそこにあったのです。
聖ヨハネ五島の像の傍らに牢屋跡の碑が
ありました。
幕末、フランス人宣教師が建てた長崎の天主堂に
隠れキリシタンが現れました
それを契機に長崎の各地で信仰の表明が行われました。
信者にとって、ついに「信仰の夜明け」が訪れた
と思ったのでしょうね
しかし、そこには最後の大きな弾圧が待っていました。
この五島でも、多くの隠れキリシタンが島の住民に
よって捕らえられ、狭い狭い牢屋に閉じ込められて
しまったのです
水ノ浦でもクリスマスの夜、秘密集会中に捕らえ
られてしまいました
密かに信仰を守ってきた五島の信者は、弱い
立場の人々でした。
イエスが伝道したのも弱い立場の人々でした。
貧しさとみじめさとの中で生きている人々。
生活のためにどうにもならない人間の弱さを
さらけ出す人々。
イエスは心まで貧しくなってしまった人々と接する
中で苦しみを分かちあい、神の愛を語ったそうです。
そして、信仰は弱い立場の人々の強い意志に
よって守られてきました
明治の初めに行われた隠れキリシタンへの
弾圧は想像を絶するものでした
遠藤周作の「沈黙」を読み、人間が同じ人間に対して、
どうしてこれ程までに惨忍なことが出来るのだろう・・・
と思ったことが五島を訪れるきっかけのひとつ
でした。