今回のいい寺は・・・
風待ちの福江島です♪
福江島から見た外洋は、風が強く白波が
立っていました
ここは昔、遣唐使が東シナ海へ渡る最後の
寄港地でした
大陸の文化や情報を得るために、危険を
顧みずに渡海した人々
長いもので数ヶ月も風待ち、日和待ちを続け、
天候を見定めて水や食料を積み込み大海原の
先にある唐に向けて命がけの船出をしました
私が訪れた日の海はとても荒れて見えました
島の方に伺ったところ
「こんなの荒れてるうちに入らないわよ~」って!
多くの犠牲者を出した遣唐使船
無事に唐へと渡った使節団の中に
最澄や空海などの留学僧がいました。
三井楽半島の先端、柏崎には空海の像と
「本涯ヲ辞ス」の碑があります。
空海が死を覚悟して出発したことを表す言葉です。
荒波をかき分けて進む船の船尾で航海の無事を
願う空海の姿がありました
命懸けで新しい教えを求めて海を渡る渡来僧と
宗教弾圧の荒波の中
命懸けでカトリックの教えを伝えた宣教師
道は違っても同じような情熱を感じますね
唐の都には、シルクロードを経て仏教や
キリスト教、ゾロアスター教などの宗教が
伝わっていました。
空海は長安の青龍寺で密教を学びました
そして、わずか2年で密教の正式な継承者と
なったそうです。
密教の継承者となった空海は、留学を終えて
福江島に戻ってきました
そして、空海はこの島から全国に教えを伝える
第一歩を踏み出しました
日本の西の果て福江島(みみらくの島)
ここは西方浄土に一番近い場所ともいわれて
いました
都に住む藤原道綱の母は「蜻蛉日記」の中で
亡き母の面影に逢えるという「みみらくの島」に
行きたいと願って
「ありとだに よそにてもみむ名にしおはば
われに聞かせよみみらくの島」
と病の床で詠みました
阿弥陀信仰が盛んな時代には、亡くなった
人があの世よこの世を行き来できる島と
考えられていたそうです!
隠れキリシタンの島へ行ってみたい!
という思いで訪ねた五島列島の福江島
ここは仏教伝来の地でもあり
浄土信仰の聖地でもありました
この歴史が、
宗教に対して熱い思いのある人々を育んだ
のでしょう
そして、宗教や文化を伝承する力となったと
思います。
東シナ海に突き出た半島状の三井楽地区
かつて遣唐使が歩いたかもしれない海へと続く道