今回のいい寺は・・・
殉教の丘「西坂公園」で見たもの です♪
桜の季節に訪れた長崎
長崎は雨だった~
26聖人殉教の地、西坂を訪れました
日本で初めての殉教は、すぐに世界へ驚きと
ともに伝わりました
この地は昭和25年に、ローマ教皇によって
カトリックの公式巡礼地と定められたそうです
ブロンズ像は、殉教した26人が聖人に列せられて
から100年を記念して昭和37年に建立されました
26聖人のブロンズ像は「昇天のいのり」とも呼ばれ
十字架が表わされていますね
そして、敷石は交差する槍と26聖人を縛った縄が
描かれ・・・
殉教を強く意識したデザインでした。
キリスト教弾圧の歴史を色濃く残す場所だったので
ちょっと驚きました
建立にあたっては、宣教師の出身地・スペインや
メキシコからもたくさんの寄付があったそうです。
遠く離れた日本で勤めを全うして殉教した彼らは
故郷の人にとっても誇りだったのでしょう
ブロンズ像の裏は、京都から長崎まで歩んだ
苦難の道を表すモニュメントとなっていました。
ブドウの実を数えたら26個ありました
26個のブドウの粒が一房となってつるが伸び、
京都から長崎へと伸びています
ブドウの上に「SURSUM CORDA」(心を高め)の
文字が書かれていました
ラテン語のこの言葉は苦難の旅の道すがら祈り続けた
殉教者の心の声を表現しているそうです。
ブドウのつるは長崎の十字架にたどりつきます。
厳冬の中、京都で片耳を落とされたうえに縄で
つながれながらの死への旅
ゴルゴダの丘に向かうイエスと同じく、ボロボロに
なった姿を想像してしまいます
そのような状況下でも、信者にとって殉教は
イエス・キリストと同じ道をたどれる願ってもない
喜びだったようです。
自分がはりつけとなる十字架にキスをした人も
いたそうです。
日本26聖人記念・聖フィリッポ西坂聖堂
アントニオ・ガウディの作品のような二つの塔
マリア賛美の声が一方の塔から天にのぼり、
恩寵がもう一本の塔から地上にくだることを願った
そうです。
また、この地から昇天した殉教者を賛美する
意味で、天使の羽もイメージしているそうです
聖母マリアを象徴するモザイク塔の飾りは、
26聖人が護送された京都から長崎までの
各地でつくられる陶器の破片を集めたものです。
京都から長崎・・・歩くには遠すぎますね
破片の数をみると、受難の道が遠く、長かったとこが
分かりますね
26聖人の中には子供もいました
トマス小崎(14歳)は母モニカに宛てて
手紙を書きました
「私たちは、列の先頭を行く、高札に書かれた
判決文にあるように、長崎でハリツケになるために
ここまで参りました。
私は一足先に、神父さまと父上の手に引かれて
パライソ(天国)へ参り、そこで愛しい母上を
お待ちします。・・・私は母上のことを、われらの
主にお願いいたしましす。母上、どうかご機嫌
よろしう。」
京都から長崎への殉教の旅の間に、残る母を
苦しめないようにとの思いが芽生えたのでしょう
手を合わせて昇天する26聖人
安堵の姿に「安らかに」と願いをこめて祈りを
捧げました
ここに立ってみて感じたこと・・・
自分がトマスの立場だったら、殉教は素晴らしいこと
だから・・・と受け入れられるだろうか。
親より先に死ぬことほど親不孝ってないですよね。
自分の親に「この殉教は喜びだ」なんて言えるの
だろうか。
殉教であろうと、親は子が死へと向かうことを受け
入れられるのでしょうか?
宗教は難しいテーマですね。
私たちは弾圧の犠牲者として見てしまいますが、
当人にとっては名誉なことだったのかも
しれません。
家族とか死に対しての考え方や死後の世界に
対しての信仰心などあらゆる面で今の時代と
違うのでしょうね。
この場所で感じることはひとそれぞれ違うと
思います。
みなさんはどんなことを考えますか?