大浦天主堂☆弾圧と信仰の自由

今回のいい寺は・・・
大浦天主堂☆弾圧と信仰の自由です♪

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キリシタンの殉教地を巡るきっかけとなったのが
山口・萩のキリシタン墓地でした。

この墓地が明治のキリスト教弾圧で殉教
した人々のものだと知りショックを受けました

明治になっても弾圧が続いていたとは
知りませんでした。

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吉田松陰と門下生の活躍で、新しい時代が
開かれた明治維新の中心地で・・・

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日仏通商条約によって、フランス人のための
居留地に建立した大浦天主堂です

江戸時代の終りに、時代の変化を象徴する
カトリック教会ですね

正式名は「日本26聖殉教者天主堂」と
いいます。

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天主堂建立に尽力したプチジャン神父です

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禁教令下の長崎で布教活動はできません
でしたが、キリシタンの存在にかすかな期待を
込めて「天主堂」と漢字で書かれた額をかけた
そうです

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創建した外観に、地元の人は大変驚いた
そうです。
天主堂は見物人で連日にぎわい、「フランス寺」
と呼ばれ、人々の中で噂が流れ始めました。

フランス寺へ行けば、サンタマリアに会える

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そして、プチジャン神父の期待が現実のものと
なりました

ある日、数人の日本人が天主堂を訪れて
その中の女性が胸の十字架を指して、
「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」
「サンタマリアノゾウハドコ?」
とプチジャン神父に尋ねたのです。

これが禁教令によって絶たれた信者との再会でした。

信者発見の知らせは、すぐにバチカンへ伝えられ
ました

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その後、多くの潜伏キリシタンが天主堂を
訪れました

そして、プチジャン神父も各地を訪問して
潜伏キリシタンに洗礼を行ったそうです

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フランスから信徒発見を祝して贈られた
マリアさまです

洗礼の喜びが大きなうねりとなって、
各地で信仰の告白が始まりました。

しかし、まだキリシタンにとって、信仰の自由は
遠い存在でした。

信仰の告白が、大規模な弾圧へと進んで
いきます

捕らわれた信者は、萩、金沢、名古屋など
各地へ送られます
離れ離れに抑留されて、棄教を迫られました

その後、欧米各国の働きかけによって弾圧は
終わり、信者は自由の身となって長崎に
戻りました

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長崎に戻った信者は、自分たちの手で聖堂を
造ることを決意しました
そして、浦上にも天主堂が造られました

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浦上天主堂の花壇には、で使用された
拷問石が置かれていました

最後の弾圧を記すものとして、萩から送られた
そうです。
萩で殉教した信者の墓も同じ拷問石を積み上げた
ものでした

苦難の歴史の中から何かを学んでほしい」との
願いでしょうか・・・

この浦上天主堂には、人間の大きな過ちの傷跡
今でも残っています。

次は、浦上天主堂に残る傷跡を訪ねてみます

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