今回のいい寺は・・・
名古屋 矢場町界隈です☆
京都の三十三間堂の通し矢は有名ですが、東京にもありました。
徳川家光の時代に三十三間堂を模して浅草に造られて通し矢が行われたそうです。
その後、火事により焼失してしまい深川に新たに造られたそうで、信仰よりも通し矢用の建物でした。
江戸時代には通し矢が各地で盛んに行われたそうです。
今は、明治の廃仏毀釈で取り壊されて見落としてしまいそうなところにひっそりと三十三間堂跡の碑があります。
近くにある数矢小学校でこんな校章を見つけました。
昔通し矢が行われていたからこの学校の名前と校章が
出来たのでしょう。
そして名古屋にも通し矢が行われた場所があったそうです
通し矢を行った場所を「矢場」と言います。
その矢場が三輪神社の境内に作られた事から
この地の名前「矢場町」が付けられたそうです。
この神社は約400年前に前津小林城主 牧長清が大和の
三輪山から神様を頂いて来たもので、後に徳川宗勝から
厚い信仰を受けたと伝えられています。
鳥居の前に商売用のシソが干してありました。
矢場のあった場所はなくなり偲ぶものは何も残っていません。
向かいには公設市場がありにぎやかです。
矢場町といえば「矢場とん」ですね
名古屋といえば矢場とんのみそかつです
矢場とんのHPはこちら↓
http://www.yabaton.com/