今回のいい町は・・・
悲母観音菩薩への思いです♪
ある幼稚園での話です。
子供たちがお母さんの絵を描くことになりました
その中に生まれながらに目の見えない子供が
いました
いました
自分の目でお母さんの姿を見た事はありませんが・・・
ご飯を作ってくれるお母さん
服を着させてくれるお母さん
おんぶをしてくれるお母さん
そうじ、洗濯をするお母さん
そのお母さんの絵は、
ひとつひとつの手が描かれた千手観音さまの姿
だったそうです
だったそうです
中村久子さんは不自由ななかでも子供を
一生懸命に育てました
一生懸命に育てました
生きていくため旅一座に身を置きながらも
母親として、子供の幸せを願い、舞台の合間に
口で縫ったもの、編んだものを贈りました
口で縫ったもの、編んだものを贈りました
そして、仕送りも欠かさずに行ったそうです
と、母親は中村久子さんを厳しく育てました
時には、母親に反発したこともあったそうです
しかし、時を経て子供を育てる立場となり
また、同じ境遇の親子さんの愚痴を聞いた時、
その気持ちを表すように中村久子さんは、
幼いころ友達と遊んだ国分寺の境内に
悲母観音菩薩像を建立しました
母親の愛情に育まれた久子さん
観音菩薩に抱かれた子供は観音菩薩のお顔を
しっかりと見つめています
しっかりと見つめています
ある時、中村久子さんは「無形の手と足」と題した本
を発行しました
久子さんの無形の手と足は、千手観音菩薩の如く
家庭を守り、子供を育てました
きっと千手観音菩薩の手は、数の多さより
愛情の大きさを表すものなのでしょうね
そして、悲母観音菩薩の心は中村久子さんを介して
お子さんへと受け継がれていきました
歴史を感じる飛騨の小京都
古い街並みに心を癒されます。
ゆっくりと過ぎる時間は、都会のあわただしさを
忘れさせてくれそうです
忘れさせてくれそうです
そんな高山の町で、家族の絆が薄れた今の時代
だからこそ、 国分寺を訪ね、境内の片隅に祀られた
悲母観音菩薩に手を合わせたいと思いました
※悲母観音菩薩建立の発願は、 NHKの人生読本に
出演した久子さんへ
「あなたの母上がご存命なれば、お好きな物を
買って上げて下さい。またご他界なればお線香の
一本でも・・・」
一本でも・・・」
と手紙とご懇志が届けられたことがきっかけでした
※中村久子さん 苦難を越えてはコチラ↓
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※強く生きる中村久子さんはコチラ↓
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