今回のいい町は・・・
対馬の自然です♪
対馬の自然です♪
リアス式海岸と山が連なる対馬列島
魏志倭人伝では
山が険しく深林が多く、道はけもの道のようで
千余戸の家があるものの、良田が少なく海産物で
自活し、南北の交易で生活している
千余戸の家があるものの、良田が少なく海産物で
自活し、南北の交易で生活している
と、対馬を紹介しています
江戸時代になっても田畑の土地は僅かでした
当時の対馬藩は十万石格の大名でしたが、実際に
対馬で獲れる米は五千石程度だったそうです
対馬で獲れる米は五千石程度だったそうです
山間の集落で畑仕事に励むご夫婦が
収穫した玉ねぎが軒先に吊るされていました
農村でよく見る風景ですが、建物が少し変わって
います
います
屋根には重たそうな平石が葺いてありました
石を乗っけただけですが、互い違いにして
雨が下に浸みないように工夫してあります
江戸時代、藩の命令で瓦が使用できませんでした
そのため火事になると集落全体が焼けてしまう事も
あったそうです
あったそうです
そこで収穫した作物や生活用品を納める小屋を
守るために平石を使用したそうです
守るために平石を使用したそうです
明治になって新築の住まいは瓦葺きの屋根と
なっていきましたが、石の方が重厚に見えるので
なっていきましたが、石の方が重厚に見えるので
昭和30年代まで納屋や高床式の小屋は石葺き
屋根での新築がありました
屋根での新築がありました
対馬には独特なものが他にもあります
山道を行くと、木陰に円柱の物が点々と置かれて
いました。
いました。
これは、対馬独特の養蜂用の巣箱で
蜂洞(はちとう)といいます。
下の部分から蜂が出入りしていました。
対馬での養蜂の歴史は古く、
古墳時代(西暦500年)から行われています
古墳時代(西暦500年)から行われています
年に1度10月に、上フタを開けて上部3分の1の
蜂蜜を採り残りを蜂が冬を越すエサとします
蜂蜜を採り残りを蜂が冬を越すエサとします
江戸時代には、将軍や大名、朝鮮通信使への
贈り物として使われたそうです
私はお土産に町の和菓子屋さんで
銘菓「加壽萬喜」を買いました
昔、お殿様が参勤交代で帰郷した際、御前に
差し上げるために考案したお菓子だそうです
差し上げるために考案したお菓子だそうです
上品な味の餡巻きでした。
名古屋から遠くはなれた対馬
自然と歴史が積み重なった独特な文化に
触れることができました
触れることができました