今回のいい町は・・・
対馬府中藩の城下町です♪
江戸時代、対馬府中藩の城下町だった厳原(いずはら)
10万石格の城下町は、朝鮮通信使が最初に
上陸した場所
上陸した場所
そして、朝鮮貿易で栄えた町でした
いまでも往事をしのぶ武家屋敷が残っています
遠い昔の出来事のように土塀が朽ちて、ツタが
茂った場所も、そのまんま残っていました
茂った場所も、そのまんま残っていました
石葺屋根のある対馬だけあって、
石垣もしっかりした印象でした
家老の広い屋敷跡は公共施設となっています
江戸時代初期に築城した桟原館(さじきばらやかた)
は石垣の上にフェンスが張り巡らされて、自衛隊の
対馬駐屯地となっています。
は石垣の上にフェンスが張り巡らされて、自衛隊の
対馬駐屯地となっています。
対馬に上陸した朝鮮使節団は、まずこの城で
接待をうけたそうです
接待をうけたそうです
港から桟原館までの本通りを、通信使が
行列をして通りました
行列をして通りました
今では、その道は自衛隊員のランニングコース
になっているようですよ
になっているようですよ
宿泊場所には城下の寺院が使われました
江戸時代初期の使節団の頃、幕府は100万両の
費用を使ったそうです
費用を使ったそうです
朝鮮通信使を受け入れること12回
だんだん経費は削減され、最後の通信使は対馬で
足止めとなり、代わりに桟原館で藩主が将軍襲封の
祝賀を受けました
足止めとなり、代わりに桟原館で藩主が将軍襲封の
祝賀を受けました
その時に新築された山門が、宿泊場所だった
国分寺に残っています
国分寺に残っています
幕府からの最後の下賜金が充てられました
そして、朝鮮通信使の役目は終わっていきました
時代は移り、厳原は観光客が訪れる場所となっています。
街の中心を流れる本川沿いには、観光客の宿泊施設も
建ちならんでいます
建ちならんでいます
夏の終わりに訪れた時は、静かな通りでしたが
これからが観光客のシーズンですよと
ホテルの人が教えてくれました
貿易を中心に栄えてきた街も、どことなく
寂れてしまった感じがしました
しかし、実は再び、対馬は朝鮮半島との関係が
深くなっているといいます
多くの韓国人観光客が訪れて島の経済を
支えています
支えています
歴史の中で消えていくもの
新しく生まれるもの
時代の変化を受け入れながら
この町は歩んでいるのでしょうね
長崎と韓国・釜山の間の島に流れた時間と
その時代に生きた人々の生活を少しだけ
垣間見れたような気がしました