八幡神社があります
強い日差しを遮るように、樹木が生い茂った
境内には小さな社が点在しています
境内には小さな社が点在しています
その中の一つ、今宮神社には・・・
キリシタン大名小西行長の娘
小西マリアが祀られています
豊臣秀吉の朝鮮遠征のとき、
小西行長は先陣を切った一番隊でした
その中に対馬軍の姿もありました。
この関係から小西マリアは、宗家に嫁いだ
のでしょうね
のでしょうね
彼女の影響で宗家はキリスト教を
信仰するようになりました
宗家当主・宗義智と小西マリアの間に
男子が生まれました
のちの小西マンショです
関ヶ原の合戦では小西行長や
宗義智は西軍につきました
小西行長は西軍の敗北後、京都五条河原で
斬首となりましたが、宗義智は徳川家康から
許されて領地も安堵されました
斬首となりましたが、宗義智は徳川家康から
許されて領地も安堵されました
ところが、小西マリアは許されませんでした
乳飲み子の小西マンショをつれて
対馬から追放となり、失意のなか長崎の修道院で
亡くなってしまいました
亡くなってしまいました
一人残った小西マンショは神学校で学び、
幕府のバテレン追放によってポルトガルに
渡ります
渡ります
そこで司祭となり、日本に帰国して、密かに
布教活動を行っていましたが・・・
布教活動を行っていましたが・・・
ついに捕われの身となって飛騨の地で殉教
したそうです
したそうです
戦国の世に生まれ
信仰のために海を渡り
神にささげた人生の終わりは
当時、唯一残った日本人司祭の最期でもありました
今宮神社は、小西家出身者として対馬を追われて
病没した小西マリアの霊を鎮めるため、1619年に
建てられました
病没した小西マリアの霊を鎮めるため、1619年に
建てられました
その横には、小西マンショを祀る若宮神社も
あります。
あります。
波乱に満ちた人生を送った親子
今は静かに対馬の地で安らかに眠っているのでしょう
そして、それが家を守った宗家のできうる
せめてもの償いだったのではないでしょうか