今回のいい寺は・・・
宗家の住居・金石の館です♪
宗家の住居・金石の館です♪
対馬の中心地・厳原には宗家の住まいが
ありました
ありました
金石の館と称します
対馬には天守閣のそびえるお城は造られ
ませんでした
ませんでした
宗義智・小西マリア夫妻も住んだ場所です
宗義智は、時代の谷間で、変化の渦の中に
居ました
居ました
豊臣時代には、朝鮮との交渉にあたり
決裂後は一番隊として遠征に参加しました
関ヶ原では西軍方についたものの、
朝鮮との関係修復のために許され
対馬の初代藩主となりましたが・・・
対馬の初代藩主となりましたが・・・
妻は幕府の命で対馬を追われて
悲しい最期となりましたね
宗義智は、李朝朝鮮との関係修復の為に
奔走しました
ただ、国を荒らされた李朝朝鮮ですから、
簡単には事が運びません
そこで、宗義智は両国の国書を偽造して
お互いに受け入れやすい内容に変えました
後に事件となりますが
「信(よしみ)を通わす」
大義のためには仕方なく・・・
結果、幕府のおとがめはありませんでした
対馬藩にとっても、朝鮮との友好関係は
必要なものでした
必要なものでした
産業の乏しい島では、貿易が最大の収入源です
特に朝鮮人参の需要はとても多かったそうです
徳川吉宗の時代に日本での栽培が成功するまで
対馬藩が独占していました
徳川幕府と李朝朝鮮との懸け橋となった対馬
「政(まつりごと)はすべて島形のようにせよ」
といいました。
対馬は上下二つの島が南北に細長い形をしています。
そのことから、政治も細く長いのが一番という意味
だそうです
「変わらずに我慢強く」
いつの時代でも交渉事の基本ですね
金石の館の跡地に、宗家の菩提寺・萬松院が
あります
あります
対馬藩の歴史が垣間見えるお寺です。
境内に入ってみます
宗義智は