東別院界隈②

今回のいい寺は・・・
東別院界隈②です☆

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東別院から大須観音に向かう道に仏壇・仏具の問屋街
あります。

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ビルの間には昔ながらの建物も点在しています
天満屋でランチを食べました

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メンチカツ定食はボリューム満点ですね~
お店は近所の人で賑わっていました☆

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天満屋の向かいにはこぢんまりとしたお寺がありました。
七面山 妙善寺です。
通称橘町の七面さまと親しまれています。

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昭和20年の空襲で焼失した摩利支天堂と、増築した
内陣一棟を合わせて本堂・七面堂となっています。
違う造りの建物が合わさっていても妙に一体感があります。

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山門を潜ると右側の樹木の後ろに石碑が並んでいました。

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本尊七面女神像徳川光友の腫物平癒のために
彫刻されたものです。
平癒後一度名古屋城に祀られましたが、
「城下の人々にもご利益があるように」と
この地に七面宮を建立して遷されたそうです
先日訪れた矢場地蔵も同じように徳川光友により
城内から遷されましたね。
七面宮の額は光友の自筆だそうです

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参道の石碑の中に観音様が祀られていました。
左手に浄瓶を持ち愛嬌のある顔立ちです。

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石碑には三代目 中村翫雀、妻 妙 碑
と刻んでありました。
子孫は中村雁治郎中村玉緒林与一etcです。
中村家は上方を代表する歌舞伎の名門ですね
手前の線香立てには中村家の屋号「成駒屋」と
刻んでありました。
中村翫雀の詳細は↓
www.kanjaku.com/

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こちらは三世・富士松魯中と書かれています。
邦楽の新内節家元のお墓です。

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そして上方の落語家 林家正三の碑です。
徳川光友により建てられた橘座は、徳川宗春によって
空前の賑わいを呈し、上方役者が毎月興行を行って
大盛況となったそうです。
この石碑が歴史の証として境内に並んでいました。

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石碑の隣に並ぶお稲荷さんで先客万来の願を掛けたのでしょうか。
今では御園座が名古屋一の興行場となっていますが、
昔はこの界隈が娯楽の中心地で商売も繁盛していたそうです。

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欄間屋のご主人に今の大須界隈についてお話を伺いました。
仏壇は中国からの輸入が増えて職人が減っているそうです。
店の跡地は駐車場かマンションになっています。
「仏壇と同じようにマンションも箱物で、造るのには色々な
職人の手が必要だからそちらの職人が増えていくよ。
でも畳も欄間も需要が減ってしまった・・・。
昔ながらの職人も良い材料も要らなくなった。
昔の建物は棟梁が一手に引き受けたが、今ではデザイナー、
設計士、棟梁の順番で規格通りの物を造らされて、応用が
利かないので腕を磨く事ができないのだよ。」と。
ご主人はどこか寂しそうに話してくれました。

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十分に乾燥させた銘木が立てかけてありました。

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欄間以外に木製の家紋や建物の飾りなど色々な
仕事の注文があるそうです。

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空き地が点々とありました。
長谷川仏具店でもお話を伺いました。
寺院用の仏具を造る若い職人が育っているよと
教えてくれました。

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「是非こちらの作業風景を見なさい」と隣の塗装店
紹介して頂きました。
残念ながら時間が間にあわなかったのでまた今度
訪れたいと思います。
大須では塗装が臭うと近隣の住人に嫌がられて、
ほとんどの塗り師が郊外に移っているそうです。

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仏教は元々インド中国から伝来しました。
最近は仏具なども中国からの輸入が多いそうです。
これも時代の流れなのでしょうか。
しかし職人を育てないと日本が失うものは大きいでしょう。
戦国時代から江戸時代、そして現代と大須の移り変わりを
見てきました。
今度は大須の町を形成する原点となった街、清洲
行ってみます♪

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