清洲城界隈

今回のいい寺は・・・
織田信長が本拠として居城した清洲城界隈です☆

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織田信長はここから桶狭間の戦いに出陣するなど、
約10年間清洲に居城しました
その後、数々の歴史の舞台に登場して城主も代わって
いきましたが慶長14年(1609年)徳川家康によって
清洲から名古屋への遷府が指令されると、清洲城下町は
全て名古屋城下に移転(清洲越し)させられました。
城下は最盛期には人口6~7万人で、江戸・京都・大阪に
次ぐ大都市でしたから、想像を絶する規模の引越しだったの
でしょうね。
清洲城も名古屋城築城の資材として利用され、
天下の名城
と賞された清洲城は跡形も
無くなったそうです。

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思いがけない名古屋が出来て、花の清洲は野となろう
城郭のあった場所は、公園となっていて真ん中を新幹線の
線路が横切っています

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当時を偲ぶものとしてわずかに石垣が残っているだけです。

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現在の清洲城は平成元年に再建されたもので
歴史的価値はないようです。
でも来館者用に色々と工夫した展示場もあります。
清洲城といえば、桶狭間の合戦の折に出陣した
城として有名ですね。
人形で信長が出陣前に
人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり・・・
と詠った場面を再現していました。

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清洲城ふるさと祭りで使用する鎧兜も展示してありました。
アルミ缶の再利用で軽いそうです。

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こちらは織田信長が実際に使用したものです。
他には清須市を紹介した展示物などがありました。

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市内には、清洲越しで大須に移った
織田家の菩提寺總見寺の跡地に、
江戸時代になって尾張徳川家が建立した總見院があります。

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本堂前には織田信長の墓所があります。
この墓には戒名が彫ってありました。

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特別に本能寺の変で焼失した建物の中から見つかった
織田信長使用の兜を見せて頂きました。
飾りが無く赤くさびた兜を見ると、天下統一の夢半ばで
逝った無念さを感じます。
本能寺の変の時、織田信長は49歳でしたから、
人間50年、天下の内をくらぶれば、夢幻の如くなり・・・
の通りの一生でした。

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清洲城に戻り、旧城郭にある清洲古城跡公園
散策しました。
緑に囲まれた小高い場所に顕彰碑と織田信長を
祀る神社がありました。

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清洲城の前を流れる五条川です。
昔は水運が輸送手段の要でしたが、現代では
新幹線ですね


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東海道線を挟んで反対側が清洲公園です。
ここに織田信長の銅像があります。
偶然、楠木に生えたサルノコシカケを見つけました
サルといえば豊臣秀吉ですね。
主君信長に従うように家来秀吉(サルノコシカケ)
生えているみたいです。

豊臣秀吉は、主君の仇討ちを成し遂げた後、
大徳寺山内に建立した總見院信長の葬儀
行いました。
今度は京都の總見院に行ってみます。

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