鹿ヶ谷の法難

今回のいい寺は・・・
鹿ヶ谷の法難です♪
 

 
db73e815.jpg

浄土礼讃の根元地である鹿ヶ谷の安楽寺は、
法然院の隣にあります。
 
法然上人は、念仏を唱え、阿弥陀如来を信ずる
ことが安楽往生する道と説きました

 
118224cc.jpg

ある時、法然上人の元に仏教界から異論が
噴き出ました
 
そこで、法然上人は、七箇条制誡を作成して事態の
収拾を図りましが収まりませんでした
 
法然上人の教えを受け入れない既成の仏教界は
後鳥羽上皇に専修念仏の禁止を願い出ました。
 

 
5d9fd93b.jpg

そんな折に法然上人と弟子達に法難
降りかかりました
 
住蓮山安楽寺は、法難の犠牲となった
住蓮上人と安楽上人という二人の弟子を
弔うために法然上人が建てた寺院です
 

 
ad92c7e5.jpg

住蓮上人と安楽上人は、六時礼讃の折に唱える
念仏に節をつけて専修念仏の普及に務めました
 

b27d12aa.jpg
 
両上人の元に多くの信者が集まりました。

895050a9.jpg 

両上人の唱える六時礼讃の美声
鹿ケ谷の山中に響き渡りました

 
 

af2094f3.jpg

ある時、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫
上皇が外出中に両上人の法会を聴きに
鹿ヶ谷の草庵をこっそり訪ねました
 

 
f7ed1374.jpg

あまりの美声に心打たれた松虫姫と鈴虫姫は
秘かに京都小御所を忍び出て出家を乞います
 

 
9331b9d5.jpg

二人の願いは叶い、両上人の元で
専修念仏の門をくぐりましたが・・・
 
その事が大きな事件となりました

 e6e7ef44.jpg

そのことを知った後鳥羽上皇は留守中に起きた
勝手な振る舞いに激憤して両上人を死罪
師匠の法然上人を流罪に処したのです

 
f8b8f744.jpg

専修念仏は禁止となり、法然上人は四国へと
旅立ち、鹿ヶ谷は悲劇の地となってしまいました
 
両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で
念仏三昧の余生を送ったそうです
 

 85850b70.jpg

境内には両上人と松虫姫・鈴虫姫の供養塔と
位牌が祀られた仏堂があります
 
安楽寺は、松虫鈴虫寺とも呼ばれ、建永の法難を
今に伝える寺院です

カテゴリー: 京都 (秋)   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>