京都【豊国神社と豊臣秀吉】

今回のいい寺は・・・
京都・豊国神社です★

豊臣秀吉は亡くなってから、天皇より神号を賜り
豊国大明神』となり、豊国神社の御祭神となりました。

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徳川家康の大権現は、仏が権(かりの)姿として神に
化身して現れたという意味です。
豊臣秀吉の大明神は、(神は仮の姿ではなく)神そのもの
として現れたという意味です。

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豊国神社の唐門です。
16世紀末に桃山城より移設したもので、国宝に指定されています。
立派な建物ですね
豊臣家が大阪夏の陣で滅亡した後は、徳川幕府により神号を廃止
されました
社領も没収され社殿は朽ちるがままだったそうです。
明治になって復権し、今の景観になりました。

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時代の流れに翻弄された神社とは思えないほど静寂な空気に
包まれていました。

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建物の装飾金具が豊臣家の繁栄を示しているみたいです。
金具には桐の模様が見えますね。
天皇は関白の職と一緒に桐紋を秀吉に下賜しました。

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瓢箪型の絵馬が綺麗に飾ってありました。
豊臣秀吉の馬印千成瓢箪に見立ててありますね

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これが豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪です。
戦に勝つたびに瓢箪を増やしたそうです。
元々は、瓢箪の紋が豊臣家の家紋だったそうです。

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瓢箪型の水筒です。
桐の紋の柄が描かれています。
豊国神社の宝物館には、豊臣家の歴史資料が豊富にあります。

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豊国祭礼図です。
豊臣秀吉・豊国大明神の七回忌にあたり催された祭礼の様子が
描かれています。
神様なので「法要」と言わずに『祭礼』なのですね★
屏風には、焼失したはずの『方広寺大佛殿』も描かれています。

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七回忌の祭礼は京のまち衆総出の賑やかな祭となったみたいですね。
(図鑑より)

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(前回訪れた北野天満宮での)北野大茶会の記録図も
ありました
当日は、京都だけでなく、大阪・堺、奈良からも参加者が
駆けつけました。
どの茶席で頂けるかは身分を問わず公平にくじ引きで
決めたそうです。

豊臣秀吉は茶人千利休・津田宗及・今井宗久を迎えて、
自らもお茶を点てて、客人に振舞ったそうです。

太閤秀吉の求めた茶の湯は、豪華で盛大なものでした。
師匠である千利休の求めた『侘び寂び』の世界とは違うものでした。

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豊臣秀吉が炉に炭を入れています
これからお湯を沸かしてお茶を点てるのでしょう

右側に薄く描かれているのは、秀吉から切腹を命じられた
千利休の亡霊です。
千利休は豊臣秀吉に何を語るのでしょう?
私は「侘び寂びこそが茶の湯だ」なんて語りかけているのかな
と思いました。

江戸時代末期の画家・富岡鉄斎の筆による明治時代の作品です。

これは豊臣秀吉を風刺する絵にも見えますね。
江戸時代は、豊臣家にとっても冬の時代でした。
明治になって名誉が回復して、各地の豊国神社が整備され
現在に至っています。

次は豊国神社の隣にある『方広寺』を訪れます

※北野大茶会の記事はこちら↓
  e-tera.net/Entry/78/

 

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