等伯【悲しみの中から生まれた松林図】

今回のいい寺は・・・
長谷川等伯・水墨画の世界です。

長谷川等伯祥雲寺の障壁画の依頼を受けて、長谷川派として
順風満帆の船出をするはずでした

しかし、そこには良き理解者である千利休と、跡を託すはずだった
息子・久蔵との永遠の別れがまっていました

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長谷川等伯は、千利休によって大徳寺に出入りする機会を
与えられました
また、山内・三玄院の襖に絵を描いたのも千利休からの
助言があったかもしれませんね。
等伯の支援者である千利休と共に頑張ってきた跡継ぎ久蔵との
死別は、これまでの全てを失う程のショックだったのでしょう

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大徳寺には天下に名の知れた牧谿最大の傑作《観音猿鶴図
があります。
牧谿の絵は、細かい描写だけでなく、そこに湿度さえ感じさせます。
墨だけで空間を表現する素晴らしい絵ですね。
この絵は、長谷川等伯に新たな道を示しました

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ところで《観音猿鶴図》には逸話があります

祥雲寺の本寺【妙心寺】と【大徳寺】に元の所有者からこんな
提案がありました。
遺産分けに《観音猿鶴図》と《50貫分の現金》のどちらかを
選ぶようにと話がありました

そして、妙心寺は現金を選び三門を造る資金にあてました

観音猿鶴図》はというと…大徳寺の所有となりました。

おかげで、大徳寺に出入りしていた長谷川等伯はこの絵を
拝見する事が出来たのではないでしょうか・・・

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《観音猿鶴図》の鶴の絵です。
長谷川等伯は《竹鶴図屏風》で牧谿のこの鶴を模した作品を
残しています
模写をする中で牧谿の絵の本質的すごさを知ったそうです

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《観音猿鶴図》の猿の絵です
墨だけで猿のフサフサ感が出ていますね。

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こちらは長谷川等伯の描いたです。
牧谿を手本にした事がうかがえますね。
猿の毛のフサフサ感と対照的に顔は単純に描かれています。
背景も白くシンプルですね。

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そしてこちらが長谷川等伯の描いた《松林図》です。
(絵が小さいのでクリックし拡大して見てください)

長谷川等伯が離別の悲しみの中で水墨画へと傾倒していく転機と
なった作品です

この松の枝に注目してください
牧谿のような大気と湿度を感じる絵ではありません。

その代わりに無駄を排したこの絵には、【濃く描かれた松】に
力強さ』を、後ろの【薄く描かれた松】に『寂しさや弱々しさ』を
感じますね。

障壁画を完成させた自信と、息子を亡くした寂しさが《松林図》に
映し出されているようで、まさに長谷川等伯自身を松で表しているようです。

この松林は、故郷七尾の海岸の松といわれています。
今、七尾出身でこの《松林図》と向き合いながら活躍する
パティシエがみえます。

次はパティシエと《松林図》について・・・
美味しいケーキ屋さんへ行ってきます

長谷川等伯についてはコチラ↓
e-tera.net/Entry/82/

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