余白の美に魅せられたパティシエ

今回のいい寺は・・・
《松林図》に支えられた辻口パティシエです♪

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辻口パティシエがNHK日曜美術館で長谷川等伯の《松林図
について語っていました。

辻口さんは長谷川等伯と同じ石川県七尾の出身です。

初めて《松林図》に出会った時、能登の海岸の松林だと直感で
分かったそうです

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辻口さんは、七尾の和菓子店の三代目として生まれましたが、
18歳のときにお店が倒産してしまいました
その後、洋菓子店としてもう一度再建したいという強い信念で
都内のフランス菓子店やフランスのパティスリー・ベルタンで
修行を重ねたそうです。

そして世界大会で優勝する事が【夢を叶える道】だと確信し、
5度の世界大会に日本代表として挑戦しました

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「クープ・ド・モンド(ワールドカップ)」個人優勝を機に店を任される
話が舞い込んできました。
洋菓子店『モンサンクレール』開店へと順調に歩む事ができましたが、
お店の売上は思うようにはいかなかったそうです。

世界一の称号だけでは道は開けない事を知りました。

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長谷川等伯は世の中に自分の名を示すために大徳寺三玄院
門をくぐり、住職が留守中に襖絵を描くという行動に出て世間の
脚光を浴びました

辻口さんは洋菓子店『モンサンクレール』を世間に知ってもらうために
フジテレビの「料理の鉄人」で挑戦したそうです

パティシエとして初めて《鉄人》に勝利した事が話題となり、
お店を軌道に乗せることが出来ました

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そして自分の店を持ちたいというは現実となり、2年後に
モンサンクレール』のオーナーパティシエとなりました。

今では10のブランドを持つだけでなく、ケーキ作り教室を
開いたり社会活動にも取り組んでいますね

能登の震災時には自らたくさんのケーキを持参して被災者の
慰問に訪れました

辻口さんは、幼い頃からの自分を振り返りこう話していました。

「家を失い家族が無くなってしまい、子供の頃に色々なものを
 無くしたから、その悲しみを力に変えて進んできた。」

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長谷川等伯は祥雲寺の障壁画を完成させた直後に、
息子久蔵の死という絶望を味わいました。

その絶望の中で描いた作品が《松林図》です。

風雪に耐えながら立ち尽くす松と、霧の立ち込める余白。。。

華やかでない現実と【余白の美】・・・

それは辻口さんに安らぎと勇気を与えてくれるそうです。

余白をつくるのは難しいですよね。
色々描きたくなってしまいます・・・
それをあえて余白を作る事で、その余白の中で想像する事ができますね。

濃淡の使い方に迷いが無く、この余白が辻口さんの
心を映し出す鏡となっているそうです。

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自身の作品は形は無くなるが味が残る、心に残る。
 そこが松林屏風の余白に通じる
。』と話していました。

また祥雲寺の障壁画と《松林図》を描いた長谷川等伯と
自分の人生を重ね合わすそうです。

辻口さんが世界大会に挑戦した作品は飴細工の技法も
取り入れた祥雲寺の障壁画のような華やかなものでした

そして、長谷川等伯が華やかな絵の技法を捨てて、
水墨画《松林図》を描いたように【和の心を融合】させて
垣根を取り払った作品を目指しているそうです

辻口さんにとって《松林図》が心の支えであり
人生最大のライバルでもあるそうです。

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洋菓子『セラヴィ』です。

この真っ白な『セラヴィ』の表面には水滴のような飾りが
ついています。
私は茶道具の水指の蓋にかけた水を連想しました♪

辻口さんは、茶道の武者小路千家の若宗匠とも親交を深めて
いるそうです

次は、心を動かすお菓子の力です

長谷川等伯の華やかな障壁画についてはこちらを↓
e-tera.net/Entry/82/

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