今回のいい寺は・・・
『嵐山大河内山荘を歩く』です♪
大河内伝次郎は大正・昭和の役者で
サイレント映画の大スターです
当たり役は、なんと言っても「丹下左膳」です。
大河内伝次郎が6千坪の土地に30年の歳月を
かけて造営した別荘です
東映時代劇など晩年の出資で稼いだギャラは、
大半が造営に注ぎ込まれました
神殿造りのような立派な造りです
茅葺の屋根で品のある建物ですね。
建物の良さは屋根の造りで決まるみたいです
山荘からの眺めです
京都市内が一望できます!!
ここは、藤原定家が小倉百人一首の選歌をした
小倉山の山麓にあります。
大河内伝次郎は、母の影響で仏教に帰依して最初に
この「持仏堂」を建てました
そして、34歳の若さで山荘の造営に取り掛かったそうです。
「持仏堂」では、仏教書を紐解き『南無阿弥陀仏』の念仏を
唱え坐禅をして心を整えたそうです。
「持仏堂」は「坐禅堂」とも言いました。
多宝塔です。
山荘の至る所に仏教美術品が置いてありました。
まだ樹木が芽を吹いていないので、枝葉で隠れることなく
しっかりと見ることができます
これが、冬の京都の楽しみでしょうか
あちらこちらで、仏さんに会いました。
大河内伝次郎が「持仏堂」を造営する事を決意したのは、
27歳で遭遇した関東大震災きっかけだったそうです
震災のショックから心の支えを必要としたのでしょう。
関東大震災が人生の転機だったかもしれませんね。
山荘内の庭園を巡りながらふと口ずさんでいました。
曲がりくねった道の先に 待っている 幾つもの小さな光
まだ遠くて見えなくても 一歩ずつ
ただそれだけを信じてゆこう
そして、ふと思いました。
大河内伝次郎が遺したものは、地位や名誉ではなく・・・
この道だったのかもしれない、と思いました。
見晴らしのよい展望所からの下り道です。
石畳の道が色々と変化していきます。
道は一本ですが、次から次へと道の形が変わって
いきました。
無声映画の大スターとして活躍し、後半は名脇役として
役者一筋に全うした大河内伝次郎の人生がこの道に
表されているような気がしました
そして、大河内伝次郎が山荘を訪れた人に
「世の中が色々と変化としても、
道を踏み外さないように歩んでください」
と教えているような気がしました。
仏教の信者として、人生の歩み方を伝える為に、
この山荘を遺したのではないでしょうか
彼には彼を支えた仲間達がいましたね。
それぞれの仕事に誇りを持っているのでしょう。
皆さんいい顔をしています
大河内伝次郎は、この支えによってスターとして、
そして名脇役として活躍をしました。
大河内伝次郎、長谷川等伯、辻口パティシエ・・・
それぞれ歩む道は違いますが、人生の転機がある中で
ひとつの道を全うするという意味では共通するところが
ありますね。
これからも、色んな方の人物像を探りながら
【いい寺】を探して行きます