いい寺★東寺(1)東寺に入る

今回のいい寺は・・・
京都・東寺(1)東寺に入る です

正式名は教王護国寺です★

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平安京の王城鎮護と国を守る国家鎮護の官寺として
建立されました。
後に弘法大師・空海によって真言密教の根本道場となり、
現在に至っています。

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弘法大師・空海に縁のある寺院では、命日(旧暦3月21日)に
合わせて、毎月21日に法要を行います
境内では参詣者向けに、多くの露天が出て『弘法市』が
開かれます。
東寺の『弘法市』は有名で、特に年末の「しまい弘法」では
多くの人で賑わいます。

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命日に行う『弘法市』の他に、参詣者を労う「お接待」が
あります
四国八十八箇所霊場巡りでは、各地で「お接待」を受けます。

その温かさにふれた巡礼者が、弘法大師を自宅に祀って、
「お接待」を行うようになりました。

この風習は受け継がれて、4月21日には各地で行われます。
「お接待」は見返りを求めない【施しの心】なのでしょう。
私達は弘法大師を信仰しながら、この心を大切にしてきました。

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東寺は、平安京の入口として「西寺」「羅城門」と共に創建されました。
当時は平安京の玄関にふさわしい立派な伽藍だったのでしょう。

東寺建立には、国家と都の鎮護の他に大きな目的がありました。
風水によると、上の図のように山脈の巨大な【】が都に向けて
南下しているそうです。
東寺と西寺と羅城門は、その【気】をせき止めて都の中に満たす
役目があったのです

都を繁栄させるために【気】で満たす事が重要な事だったのでしょう。

京は風水の都ですが、江戸は陽明学に重きをおきました。

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日光東照宮・陽明門です。
遺言で東照大権現・徳川家康はここに祀られました
陽明学によると、ここが江戸城に《運気》を運ぶ最高の場所
だそうです。
徳川家康には戦国時代から江戸時代へと導いた大きな《勝運》が
ありましたね

また、徳川家康は『』の字に拘った武将でもありました。
孫の名前に「お勝」と付けました。
小牧長久手の戦で休息した「かち川」を『勝川』とし、
関が原の戦で本陣にした「岡山」を「御勝山」と改名しました。

徳川秀忠も関が原で遅延した汚名をはらすために、
大阪の役で「岡山古墳」を本陣とし、勝利の後に「御勝山古墳」に
改名しました。

武将にとって《勝運》が1番重要な事なのでしょう。
運も実力のうち・・・といいますよね

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【気】による繁栄や勝負運も必要でしょうが、私達にとっては健康が
第一ですね。

江戸城が皇居となり現在の都心では高層ビルが乱立しています。
乱立する都心では、どうしても空気が汚れてしまいます。

そこで新鮮な海風を入れて空気の循環を良くする為に
グランドトウキョウサウスタワー ノースタワーは東京駅の両側に
2つの建物を離して造られました。

2つのタワーの間を流れる風は、皇居に向かっていきます。

【気】や《運気》も必要ですが、新鮮な空気が1番大切ですね。

東京湾からは、新鮮な空気と一緒に《海の気》が運ばれている
かもしれませんね。

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それでは、門をくぐって東寺の伽藍を見に境内に入っていきます

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