今回のいい寺は・・・
ミッションスクール・南山大学についてです♪
キリスト教を大きく分けるとカトリックとプロテスタントと
正教会に分けられますね。
そして、その中にも色々な《会》があります。
厳律シトー修道会のように、外との接触を絶って《瞑想と労働》
の日々を過ごす会があれば、教育やボランティアを通して
イエス・キリストの教えを伝える《活動》を行う会もあります。
《会》は宗派ではなく【コミュニティ・共同体】の意味だそうです。
神言修道会の《活動》の拠点、名古屋にある南山大学です。
明治以降に宣教の場として多くのキリスト教主義学校が設立
されました。
《ミッションスクール》ですね。
ミッション(Mission)はラテン語で「派遣する」を意味する
misssumに由来して「派遣されたもの」という意味です。
南山大学の初代学長アロイジオ・パッヘ神父の碑です。
「汝らは世の光なり、山の上に建てたる街に隠るゝことなし、
然く汝らの光も亦世の人の前に輝くべし」(マテオ書5章より)
明治時代になってキリスト教禁止令が解かれました
「キリストの教えをまだ知らない人々へ広めること」
この活動を任務(mission)として多くの宣教師が欧州教会本部
より派遣されました
「旧約聖書」の《天地創造》をモチーフにしたモニュメントが
ありました。
真理の源であり、神の象徴の光として太陽と十字架が描かれて
います
『神の象徴としての光と同じように、君たち(学生)も輝きなさい』
と啓示しているみたいですね。
南山大学に隣接する神言修道会の神言神学院です
ここでは大学の神学部で勉強をしながら日々の修練を
積み重ねていきます
多治見修道院で祈りと労働の修練期を過ごしてから、
立願神学生となるそうです。
司祭として必要な神学を学ぶコースと宣教者となる
修道士コースがあります。
立願神学生はやがて終生誓願、助祭叙階とひとつひとつ
段階を踏んで、宣教の地に赴きます。
話を伺ったところ、20~30名の立願神学生が生活して
いて、外国人留学生も多いそうです
志願期から始まって宣教者して宣教の地に派遣される
までには、長い道のりがありますね。
その間に覚悟と自覚を身に付けてMissionに就くのでしょう。
多治見修道院には神言修道会墓地があります。
宣教師として使命を全うされた数多くの神言会司祭、修道士の
方々が永遠の憩いの場所として戻ってきます
南山大学の敷地内にある「ロゴス・センター」です。
キリスト教・キリスト教的思想を身近に感じてふれあえる場所と
なっています。
ところで、日本は宣教の難しい場所だそうです。
経済的に豊かで平穏で紛争がない国で、宗教と向き合う人が
少ないのでしょうか・・・
貧しい人、弱い人、病気の人と歩んだイエスの足跡を示すには
同じ環境の方がわかりやすいそうです。
しかし、今の日本は物質的に豊かでも心の部分で疲弊していますね。
毎日のように残念な事故や事件のニュースを耳にします。
このような形に見えない貧しさから如何に救うことが出来るか・・・
これからの宗教者はより難しい問題と向き合わなければなりませんね。
そう思えば日本もやりがいのある宣教地でしょう。
イタリアには、手に入れる喜びよりも、手に職をもって創り出す喜び
の素晴らしさを伝えている教会もあります。
次は、イタリアの教会にある《革の学校》を訪ねてみます
※多治見修道院・神言修道会についてはコチラ↓
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