今回のいい寺は・・・
大阪の信仰の中心地《四天王寺》です。
四天王寺は聖徳太子によって建立された寺院です。
飛鳥時代に建立した寺院で《太子の寺》として代々権力者が
帰依してきました。
大阪の中心にあるため度々戦火に見舞われて焼失して
しまいましたが、その度に直ぐに再建されました
度重なる災難に遭いながら、多くの信仰を集めたことが
うかがえますね
江戸時代に焼失した折には、幕府の力を借りずに大阪町人の
財を集めて再建されました。
そのことから大阪庶民の寺《大阪の仏壇》といわれています。
四天王寺は三門、五重塔、金堂が一直線に配置され、
周りを回廊で囲む飛鳥時代の伽藍形式をしています。
全国には聖徳太子に関係した寺院が沢山ありますが、
聖徳太子が建立した寺院は四天王寺と奈良・法隆寺の
2ヶ寺です。
法隆寺は、世界最古の木造建築物として当時の伽藍を
遺しています。
四天王寺は、度重なる焼失と再建を繰り返しながら
当時の伽藍を伝えています。
その歴史の違いから法隆寺は文化財として守られ、
四天王寺は時代に合った形で身近な信仰の場所と
なっています。
伽藍の講堂です。
静かに、そして一心に手を合わせて拝む方がみえました
ここは、歩んだ歴史の違いから、法隆寺のように観光で
訪れる人よりも、家族の幸せや先祖の冥福を願う参詣者が
多いですね
伽藍中央の金堂です。
堂内には救世観音を中心に四天王が祀られていました。
ここで塔婆(とうば)による祖先供養が行われます
四天王寺の僧侶が、戒名を唱え先祖のご供養をしていました。
ここでも信者さんが、一心に手を合わせてお参りしていました。
皆さんの思いが先祖に伝わると良いですね
塔婆の語源は、インドのサンスクリット語で「ストゥーパ」です。
ストゥーパは、お釈迦様のお墓で《仏舎利塔》とも言います。
ストゥーパには「積み重ねる」という意味もあります。
この塔婆に戒名を書いて追善供養を積み重ねて亡き人の
冥福を祈ります。
※《仏舎利》とはお釈迦様の遺骨のことです。
五重塔です。
最初の建立から八代目の塔です。
お釈迦様は《私ではなく、私の教えを信じなさい》と言って
亡くなりました
それから500年間、お釈迦様の姿を形で表す事はありませんでした。
その代わりに《仏舎利塔》や仏足跡や蓮の花でお釈迦様の
存在を感じ、信仰の支えや心のよりどころとしました。
そして仏舎利塔は、中国から日本に伝わり五重塔などの
塔になったそうです
塔の中は螺旋階段になっていて最上階まで上れます。
壁には塔の形をした位牌が祀られていました。
木造と鉄骨の建物の違いは、外観からでは分りませんが
内部は全く違いますね!
最上階に仏舎利が祀られていました。
聖徳太子が創建したときには、塔の礎石心柱の中に
仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納めたそうです。
仏舎利は紀元前2世紀、阿育王(アショカ王)が仏教を世界的
宗教にするため、王舎城大宝塔から仏舎利を八万四千に
分けて各地に派遣された僧が仏教伝播とともに広めました。
日本では東京・浅草寺や名古屋・日泰寺などにも仏舎利が
祀られています
亀井堂の井戸です。
この井戸は聖徳太子の時代からあるそうです。
金堂の基壇下の青龍池より引いた清水が亀の口から出ています。
金堂で供養した塔婆をここに持ってきます。
塔婆をこの水で清めて『この世の垢』を流しているようでした。
水供養により亡き人が清められて安楽往生するのでしょう
亀の甲の水盤の中に入れた塔婆は直ぐに浮いてきます。
それを見て家族は「ああ、これで浮かばれた」と思うそうです。
ロウソクの灯りが幻想的でした
闇路を照らす灯明で、道に迷わない様にとの願いでしょうか…
亀井戸の本尊・地蔵菩薩は私たちが困っているときや、
亡き人が迷っているときに救いの手をさしのべる仏様です。
ここでは、女性職員が一生懸命に塔婆の供養をしていました。
地蔵菩薩に代わって、この役を務めているようですね。
寺院にお参りするときは、自分の事よりも先ず先祖の供養や
亡き人の安楽往生を願いますね。
それが仏教の良いところで、相手を敬う気持ちが自然に
芽生えてきますね
四天王寺の散策は続きます
※浅草寺《仏舎利塔》についてはコチラ↓
いい寺「浅草寺①」
e-tera.net/Entry/6/