今回のいい寺は・・・
細川家菩提寺・高桐院です♪
楓の庭で有名な京都 大徳寺・高桐院
新緑の瑞々しさを感じさせる境内ですね
参道正面の中門も茅葺の屋根が苔むして、侘びた雰囲気を
醸し出していました。
禅宗は、自然と調和した素敵な寺院が多いですね。
ここは細川忠興が父・幽斎の菩提所として関ヶ原の合戦の
翌年に創建したお寺です。
武家社会では、各本山に塔頭寺院(菩提所)を創建する事が
一種のステータスでした
細川忠興は関ヶ原の合戦の功績により豊前中津藩に
加増国替えとなりました。
そこで、九州・豊前中津藩に移る前に大徳寺に菩提所を
造り、妻ガラシャの葬儀を行いました。
※中津市(大分県)から豊前市(福岡県)の山並みと山国川を
撮った写真です
両市の間を流れる山国川の上流には、耶馬溪や青の洞門などの
景勝地があります
今は、大麦の刈入れ時です。
収穫した大麦は麦焼酎の原材料になります
豊臣秀吉が千利休に所望した春日灯篭
欲しいものは何でも手に入れようとする豊臣秀吉。
織田信長の妹・お市の方の娘・茶々(淀君)を側室に
した豊臣秀吉。
細川忠興は朝鮮出兵中に豊臣秀吉が妻ガラシャに手を
出さないかと心配で「気をつけるように」と手紙を
出したそうです
豊臣秀吉の欲深さが、夫婦の関係を壊してしまった
のでしょう。
細川ガラシャは大阪屋敷で、監禁状態の生活を
強いられましたね。
そして、関係を修復することなく、ガラシャは細川家の
ために命を落としました
細川忠興の悲しみは深いものだったでしょうね…
豊臣秀吉が手にする事が出来なかった春日灯篭。
細川忠興は、この灯篭を千利休から譲り受けて
妻ガラシャの墓にしました。
豊臣秀吉から妻ガラシャを守った思いが、この灯篭を
墓にさせたのでしょう。
しかし、彼女の心を守ることはできませんでした
その悔いからか、春日灯篭を常に近くに置いて、
行く先々にも持参したそうです。
形は変わりましたが、やっと本能寺の変以前のように
妻ガラシャと向かい合うことができたのでしょうね。
灯篭は細川忠興の遺言で夫婦の墓として高桐院に
祀られました。
あの世では、夫婦円満に暮らしたいと願って・・・
高桐院を訪れたシスターです。
夫婦の灯篭の前で観想していました
クリスチャン細川ガラシャは命を落とし、細川忠興を
目覚めさせましたね
夫婦の間にあった大きな溝を埋めることが出来ました。
そして、夫忠興の心に愛の種を蒔いたのでしょう
今、灯篭としてここに二人の墓があるのも、その結果
かもしれませんね。
大徳寺・高桐院の境内に墓所がありますが、こうしてシスターが
観想する姿を見ると、彼女への思いに宗教の垣根はありませんね。
歴史に翻弄されながら、今は静かに立つ灯篭・・・
お参りする私達にもキリストの愛を授けてくださるようです。
次は灯篭を細川忠興に託した《千利休》についてです♪
※紅葉の季節の高桐院はコチラ↓
いい寺★高桐院①
e-tera.net/Entry/36/
いい寺★高桐院②
e-tera.net/Entry/37/