今回のいい寺は・・・
変わりゆく時代のなかで寺を守る姿についてです♪
南信州は、木曽川が流れる木曽谷と天竜川が流れる伊那谷に
分かれます
木曽は源氏・木曽義仲の里として有名ですね
江戸時代には、尾張藩に組入れられて林業(木曽ヒノキ)が
盛んになりました。
伊那谷は三州街道と呼ばれて三河と信州を結び、
中山道の脇路として栄えました。
今は恵那山トンネルで結ばれてJR中央線は木曽谷を通り
高速・中央道は伊那谷を通っています
三州街道は別名・塩の道と呼ばれ、吉良や碧南で取れた
三河湾の塩を馬に載せて信州・塩尻に運ぶ道でした
1日千頭もの馬が行き交って、飯田は信州の小京都と
言われるほど賑わったそうです。
その関係でしょうか、伊那路に立派な造りの寺院が多い
ですね。
街道の面影を残す松とペンキがはげた天竜川の鉄橋が
時の移り変わりを物語っているみたいです。
時代が変わって、道路が整備されて輸送手段の中心は
トラックとなり、観光客も南信州から奥志賀まで楽に足を
運べるようになりました
飯田の街は、天竜ライン下りで観光客を呼んでいましたが、
他の地方に客足が遠のいてしまったみたいですね。
もう一度、活気を取り戻すために頑張ってください
寺の維持も大変ですね。
時が経つなかで、「どのように残していくか」が考え所だそうです。
新築も見栄えは良いですが、歴史がそこで切れてしまうようで
寂しい気がします
傾いても古い建物が残っていると頑張って!と応援したくなりますね。
千利休のように朽ちていく姿をいかに楽しむか・・・
しかし、外から見ても思う事と、中で住む人の現実は違うので
しょうね。
修理したお堂です
瓦の葺き替えに合わせて、破風板と濡れ縁が新しくなっていました
破風と濡れ縁は風雨に曝される所ですから、車のタイヤやオイルを
替えるのと同様に役目を終えたら新しくするのですね
全部を変えずに、破風板に付いた下桁(げぎょう)は残され使って
ありました。
古いままか、新品にするか・・・
みなさんならどうしますか?
和尚さんは、遺せるものは大事に使おうという考え方なのでしょうね。
※下桁の元の字は懸魚で、中国で昔は本当に破風板に魚を
かけました。
魚は水に棲むので防火のお呪いとしたそうです
本堂に古い経典が置いてありました。
赤盆に載せて、行事で読む経典でしょうか、カバーの柄が
古そうですね。
欄間には、板を切り抜いた布袋さんの絵が飾ってありました。
所々に節がありますが、時が経てば気にならなくなりますね。
無節の木材より節があったほうが丈夫だそうです
東照寺の本尊は、東方薬師瑠璃光如来です。
秘仏で厨子に祀られています
厨子の両側には、十二神将が武器を持って本尊を守っています。
何故、薬師如来の周りには十二神将がいるのでしょうね。
閻魔大王のような姿の十二神将もみえました。
彩色が煤けて古い仏さんのようですね
実は、この十二神将は修理したばかりだそうです
全くそのように見えませんね
「時を経て朽ちてゆく仏様を、姿を変えずに残してゆく」
古色仕上げという方法で修理をしたそうです
この達磨さんは、修理したことが一目瞭然ですね
古色仕上げは、このように綺麗に色づけをしてから古く見えるように
汚すそうです。
和尚さんは、色々考えて修理してから先住和尚さんの法事を
行いました。
なるべく変わらないように、遺すように・・・
代々の和尚さんに法事で伝えるのでしょうね。
たくさんの和尚さんがお経を読みながら歩いていました。
昔と変わらない、同じ道を歩むという意味でしょうか
先祖のお参りに、何も変わらない境内に入ると安心したり
自分の過去を思い出すこともあります。
それはなんとなく《ふるさと》にも当てはまる良さですね。
菩薩さんが何か考えているようですね。
「ゆっくり行こうかな」と
傷んだ瓦に朽ちかけた塀
歴史を感じるには、やっぱり新しいより古いほうが良いですね。
次は、歴史を感じる大徳寺に戻ります