大友宗麟の町 大分・臼杵を散策して

今回のいい寺は・・・
大友宗麟の町・臼杵を散策してです♪

キリシタン大名 大友宗麟の国、豊前・豊後(大分県)を
訪ねてみました

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大友宗麟の居城・丹生島城があった臼杵市です。
臼杵市は、日本に最初に仏教が伝わった地域として寺院が
多いそうです。
寺院と武家屋敷のある街並みは、大林信彦監督の映画
なごり雪」の舞台となりました

大友宗麟が築いた町ですが、当時を偲ぶものは城跡だけに
なっていました
江戸時代には、臼杵藩となって稲葉氏の領地となりました。
稲葉氏は元々郡上八幡の殿様でした。
関ヶ原の合戦で当初西軍でしたが、東軍側について手柄を
あげて臼杵藩五万石へと国替えになりました。
今は、大友宗麟よりも稲葉氏の町として知られています。

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臼杵藩五代目藩主の頃に城下町は整備されて藩政が
整いました。

古い商店が立ち並ぶ城下町を散策してみました

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「可児醤油店」で味噌ソフトを食べました
ステキな笑顔のお母さんが「甘い味噌なんて珍しいでしょう」
と差し出してくれました

私の地元名古屋でもトンカツなどには甘い味噌をかけて
食べる事を話したら、可児さんの先祖は美濃国(岐阜)出身
だと教えてくれました。

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美濃藩主稲葉貞通が臼杵へ国替えになる一年前に臼杵の町を
偵察に来た7人の侍の中の一人だったそうです。
行商人に変装していた可児孫右衛門はこの場所で醤油屋
創めました。

江戸時代の身分制度で商人は、士農工商の一番下の位でした。
しかし、城下町商人として献納し藩を支えてきました。
後に名字と帯刀を許されて、可児家は武士に準ずる位に
なったそうです。

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可児醤油の暖簾を何百年以上に渡って受け継いできた今の
当主が話してくださいました。

私の先祖が稲葉氏の入城にさきがけ、遠く九州の臼杵に来て
 商人として主君である城主を支えていって現在まで暖簾を
 守ってきた
」と。

当時は武家が新しい街を活性化する為に、人が集まり住みやすい町
にと商人を優遇してきました。
それに応えようと、商人は知らない街に移り住み、町づくりに
一役買ってきました。

現代でいうなら、男性の住む街や転勤する街に移り住み、
家族を支えていく女性のような存在と重なりますね

家族を守る男性と、家族を支える女性という関係にもつながる・・・

当時の主君と商人の絆を感じました。

今も昔も、どういった関係においても信頼関係が大事なのでしょうね。

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江戸時代に繁栄して400年間この建物を守ってきました。
そして、第二次世界大戦の折、軍からの指示でB29戦闘機の
標的にされないように、白壁をで黒く塗った名残もあります。

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すぐ隣には醤油ソフトを売るお店もありました。
醤油と味噌で仲良く商売していますね。

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大分名物のどんこのお店を見つけました
大分県の山間にて冬の寒い時期にゆっくりと成長した肉厚の
どんこ椎茸は旨みが多く、味・香りともに最高です

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用水路には鯉が泳いでいました。
色鮮やかな錦鯉がたくさん
町全体で景観の保全に努めているのですね

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カメラを向けると自然にポーズを撮ってくれた男の子

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洋風な外観が印象的な情報発信施設「サーラ・デ・うすき
キリシタン大名・大友宗麟の時代に建てられたとされる
修道院を模して造ったそうです

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大友宗麟が使ったとされる大砲のレプリカが展示されて
いました

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稲葉氏の城下町として繁栄した臼杵の町に西洋の風を
取り入れた中庭が印象的でした。
南蛮貿易で栄えた町を今に伝える場所ですね。

次は大友宗麟が建てた《臼杵城》を訪ねてみます

※可児醤油店のHPはコチラ↓
 www.kagiya-1600.com/index.htm

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