大分 臼杵の武家屋敷

今回のいい寺は・・・
臼杵の武家屋敷です。

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市内の中心部には稲葉家の下屋敷があります

稲葉氏は関ヶ原の合戦で西軍から東軍に変わって手柄を
あげ、郡上八幡から臼杵に国替えとなりました。
手柄のご褒美としての国替えでしたが、江戸時代には
鎖国で南蛮貿易が途絶え、臼杵藩は財政的に恵まれて
いなかったそうです。

明治になると、当主は版籍奉還をいち早く行い、藩知事となり
廃藩置県で藩は臼杵県となるなど政府の方針に素早く従いました。
その後、稲葉家は華族となって東京へ居所を移しました。
稲葉家には戦国時代や明治時代と、時代の変わる時に先を
見る目がありましたね

先を見る目」というのはグローバル化した今の社会にもあてはまり
ますね。

ある会社のHPに・・・
機を見て、勝負するときは思い切って勝負する。
 その時大切なのは時代や経済を的確に見抜く判断力と
 先を見る目である。

と書いてありました。

この変化の激しい現代においては、先を読んで時代を読み
身を処していくという生き方はとても必要なことだと思います。

しかし、大阪の陣に参戦した真田幸村のように不条理なことに
一矢報い立ち向かっていく
生き方もとても《美しい生き方》だと
思います

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東京に移った稲葉氏が臼杵に訪れた時の住まいとして
地元の有志によってこの屋敷が建てられました。
臼杵を去っても、お殿様は人望を集めていたのですね

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庭のアジサイが綺麗に咲いていました。
ひとつひとつの花がグリーンに映えますね。

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屋敷の庭は、樹木と芝の緑が眩しかったです
昔から殿様が何時お越しになっても良いように、庭の手入れが
行き届いていたのでしょう
今でも常に庭師が入っているようですね。

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屋敷の広間です。
この大書院の部屋から臼杵城を眺めたのでしょうか
殿様が里帰りの折に城が眺められるようにと、この場所に
屋敷を建てたのでしょうね

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屋敷の内部には、武具やお姫様の豪華な駕籠など
稲葉家伝来の品々が展示してありました。

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臼杵藩稲葉氏の家系図が置いてありました。
関ヶ原の合戦で手柄をあげた藩祖・稲葉貞通父・稲葉一鉄
美濃国・斉藤氏、織田信長、豊臣秀吉に仕えて名を馳せました。

稲葉一鉄は、文武両道に優れていましたが頑固な一面が
ありました。
織田信長の家臣でありながら意見が合わない時は信長の
言うことさえ聞き入れなかったそうです
そこで、名前の「一鉄」にかけて《頑固一徹》の言葉が生まれました。

美濃で活躍した稲葉一鉄と臼杵の町で新しい稲葉家を築いた
稲葉貞通・・・
同じ生き方はしなかったようです。

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それぞれの環境に合った生き方をする事が大事ですね!
自然に背く樹木は枯れてしまいます

稲葉一鉄、稲葉貞通親子を樹木に譬えてみました。

稲葉一鉄の生き方は、自然に生えた樹木・・・
地中深くに直根が伸びて風雨に曝されても、日照りが続いても
平気なように、何事にも動じないものだったのでしょう。

息子・稲葉貞通は、美濃から臼杵へと環境の違う土地に移りました。
それは植木に似ています。
直根を切って移植すると細根を四方八方に伸ばして、万遍なく
養分を吸収する・・・そのように細心の注意を払って、万遍なく
気配りし新しい土地に馴染んでいったのでしょう。

そして植木の添え木と同じように、先遣隊の七人衆が臼杵藩を
支える役目をしたのでしょうね。

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五代将軍・徳川綱吉黒印状も展示してありました。
稲葉一鉄の姪には、三代将軍・徳川家光乳母・春日局
いました。
一時期、春日局は臼杵に身を寄せていたこともあります。

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春日局は夫と離別したのちに血縁の稲葉氏を頼り、一時は
二王座(市内の武家屋敷街)で暮らしていました。
後に春日局は三代将軍・徳川家光の乳母になりましたから、
臼杵藩にとって大きな後ろ盾になったでしょうね。

先が見えない人生や、環境の変化で迷った時の一筋の灯り
この灯りに「救われた」と思うことがありますよね。

それは、言葉であったり、さしのべられる手であったり

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稲葉家下屋敷の隣に移築した上級藩士平井家の武家屋敷
あります。
江戸中期の藩士の生活が見えます

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朝の柔らかい光の中、向こうの方に見えるがとても
爽やかな印象でした

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映画「武士の一分」を思い出しました
つましくも懸命に、身の丈に合った日々を生きる主人公。
木村拓哉演じる下級武士と彼を支える妻の情愛

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日々の暮らしに根ざしたささやかでかけがえのない夫婦の幸せが
お互いを思いやる言葉手料理などに詰まっている気がしました。

武家屋敷のたたずまいは、決して派手さのない質実剛健と
いった雰囲気でした。
これは今でも臼杵の気風となっていて、質素、倹約、勉励が
臼杵の精神とされています。
そして稲葉一鉄の影響か、頑固者多いそうです。

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いつでも殿様のお越しを待っているかのように、稲葉家下屋敷の
玄関は幕が引かれ、掃き清められていました

次は、春日局も住んだ二王座界隈です。

※徳川家康と真田幸村についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/124/

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