今回のいい寺は・・・
フランシスコ・ザビエルのもたらしたものです♪
フランシスコ・ザビエルは1506年、スペインのナバラ国の
貴族の末子として生まれました。
日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師です。
彼はインドのゴアにいたときに日本の存在を知り日本に
行くことを希望していたそうです
その願いが叶い鹿児島に上陸しました。
その後、長崎、下関と渡り京都に入りましたが、都で成果を上げる
ことなく、山口で布教活動を行っていました
そこへ、府内に南蛮船が入港したことを聞き、大友宗麟の
招きもあり豊後・府内を訪れました
大友宗麟の保護を受け、神の教えを広めたのです
それと同時に新しい《南蛮文化》の花が咲き乱れることと
なりました
大友宗麟は22歳の若さで九州の何ヶ国も治める大名でした。
宗麟がザビエルという異国の宣教師の言葉に感銘を受け
後にキリスト教を広めていくようになるのですから、その影響力
には驚かされますね。
「人のために尽くして死ぬことこそ究極の愛」
「戦は憎しみの連鎖を生むのみである」
ザビエルが人間的に素晴らしく魅力的であったのでしょう
宗教はもちろん中身が大切ですが、それ以上にそれを広めよう
とする人の人間性や振る舞いが大切なのでしょうね!
府内(現在の大分市)にはザビエルの遺徳を偲ぶキリシタン
殉教公園やザビエル像などがあります
そしてザビエルの功績をたたえて和洋折衷の菓子《ざびえる》
が誕生しました。
バターの聞いたヨーロッパ風の皮と、精選された純日本風の
白餡が口の中で溶けていくようです
旅行者のみならず、地元の方のお茶うけとして多くの人に
愛されてきた銘菓でしたが、平成12年に製造元が
自己破産に陥ったため、味わうことができなくなってしまいました
そんな中《ざびえる》を愛する元従業員たちが
「もう一度みなさんに味わってもらいたい」と私財を投じて
会社「ざびえる本舗」を起こし、平成15年に見事復活を
遂げました
すばらしい話だと思いました。
従業員が自分たちの意思で商品を開発し、自分たちの意思で
作り、自分たちの意思で販売していく・・・
個々人が『自分の意思』を持って努力ができると、どのような
組織でも強くなるでしょうね!
《ざびえる》の会社が一度倒産したにもかかわらず、従業員の
意思と団結によって見事に再生したことがそれを証明して
います。
良質のブランド魚が集まる大分で、おいしいお魚を頂きました
大分と愛媛の間の海峡で獲れる《関アジ》です
大阪に向かう南蛮船は、豊予海峡か関門海峡から瀬戸内海を
通っていきました
大友宗麟は南蛮貿易で優位に立つために両方の海峡を手に
いれようとしたそうです
昔は重要な拠点でしたが、今では美味しい魚が獲れる
場所です
大分・佐賀関で水揚げされるアジ・サバは「関」の名が付き
ブランド魚となっていますね。
対岸の佐田岬で獲れる魚は、「岬」の名が付きます。
同じ魚ですが、佐賀関では一本釣で獲ってから出荷まで
厳格に取り扱われるそうです。
商標の裏に隠された弛まぬ努力 それが美味しさの秘密
なのですね。
大友宗麟がフランシスコ・ザビエルを招いた後、府内に日本初の
洋式病院が建ち、ポルトガル人青年医師アルメイダによって
外科手術が行われたそうです
5年後には入院患者が百人にもなり、遠く京都や関東からも
患者が訪れたそうです。
日本では、昔から薬草を煎じて飲んだり漢方で対処したりして
いましたから西洋医学は画期的で大変な評判だったでしょう。
明治になって正式に西洋医学が日本に入ってきたとき、
西洋医学と日本古来の治療法を駆使して名医が沢山
輩出された地域があります。
兵庫県の《やぶ》地方です。
評判が高く《やぶ》出身の医院はいつも患者でいっぱいだった
そうです。
あまりの評判で《やぶ》の看板を掲げれば患者が来ると企んで
全く違う医者まで《やぶ》の名前を使うようになりました
そんな浅はかなことを考える医者ですから腕は
よくありませんよね。
その結果、今では《やぶ》の意味はまったく反対に
なってしまいました。
大分名産 豊後牛のかわいらしいタイルを見つけました
いつの時代でも、看板で偽ったり生産地でごまかしたり偽装と
いうものは後を絶ちませんね。
大切に一生懸命生産している方々の努力を無駄にしないように
私たちもしっかりした目でみていかなければなりませんね
大分で食事をして名称には、深い意味があることを感じました。
次は、寺の名前について京都・浄瑠璃寺にいってみます。