今回のいい寺は・・・
浄瑠璃寺を訪れます
その前に《浄瑠璃》について調べてみました。
浄瑠璃寺は、京都府木津川市にあります。
イメージ的には奈良の観光地に属していますね。
境内の三重塔には薬師如来が祀られています。
《浄瑠璃》とは、東方薬師瑠璃光如来のみえる東方浄土の
ことを示すそうです。
一般的には、浄瑠璃というと文楽の浄瑠璃を連想しますね。
文楽といえば上方芸能の代表的なものですね。
大夫(浄瑠璃語り) 三味線(三味線弾き) 人形(人形遣い)
の三者が合わさって人間の内面を人形で演じる芸能です。
人形に魂を入れて、情感あふれる表情を醸し出す。
人間以上に人間らしく演じさせる技は、見事なものですね。
曽根崎心中の最後に徳兵衛が首を吊って風に揺られる
場面では、《揺れる姿》それだけで世の哀れさと理不尽さが
伝わってきます。
人形浄瑠璃は文楽以外に兵庫県淡路島・長野県伊那谷
地方・その他各地で祭礼時の伝統芸能として伝えられて
います。
淡路島には源義経の正室・静御前が晩年暮らしたと
伝えられる場所があります
その関係でしょうか、淡路浄瑠璃には弁慶の人形も
あります。
浄瑠璃とは琵琶や三味線を弾きながら節を付けて
物語を語る芸能ですが、なぜ「浄瑠璃」というのでしょうか?
浄瑠璃という名称の起源は、御伽草子(おとぎぞうし)の
『浄瑠璃物語』だそうです。
物語は、浄瑠璃姫と源義経の情話に薬師如来などの
霊験記をまじえたものです。
浄瑠璃姫は矢作(岡崎)の長者・兼高夫妻が鳳来寺・
薬師如来に祈って授かった姫でした
源義経が平家討伐を誓い奥州に向かう途中に矢作の
宿でこの浄瑠璃姫と出会い、恋に落ちて一夜の契りを
結びました
しかし、先を急がなければならない身である故、源義経と
浄瑠璃姫はすぐに別れてしまいます
源義経は蒲原(静岡市)に入ったところで病に倒れて
危篤となってしまいました
浄瑠璃姫は、源氏の氏神八幡大菩薩のお告げで現地に
向いましたが、着いたときには既に義経は亡くなって
いました
そこで、蘇生の祈願をして祈りが届き、義経は息を
吹き返して自分の身分を明かして涙ながらに姫と
別れ、再び奥州に向けて旅立ちました
愛した人を助けた物語ですが、話には続きがあります。
浄瑠璃姫は源義経との別れの悲しさに耐えられず、
乙川に入水自殺してしまいました
愛おしい人との別れは相当辛いものだったでしょうね
「散る花に流れよどむ姫の渕」
浄瑠璃ヶ淵に句碑がありました。
浄瑠璃姫物語には、もう一つ別の物語があります。
矢作の里に入った源義経は、兼高長者の家に宿を
取りました。
ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の
音色に惹かれた源義経が持っていた笛で吹き合わせた
ことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました
しかし、源義経は旅立たねばならず、姫に形見として
名笛「薄墨(うすずみ)」を授けて矢作を去りました。
姫が源義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、
添うに添われぬ恋に、悲しみのあまりついに乙川に
身を投じて短い人生を終えたという話です
源義経は母・常盤御前から授かった名笛「薄墨」を
浄瑠璃姫に渡すのですから二人の愛が深いことが
わかりますよね
源義経は、木曾義仲を討つために上洛する途中
矢作の里に立ち寄りました。
そこで浄瑠璃姫の死を知り、悲しみの中で供養の
ために「妙大寺」をこの地に建立しました。
今では「明(妙)大寺」という地名だけが残っています。
入水自殺した場所を浄瑠璃ヶ淵といいその下流
には徳川家康の居城《岡崎城》があります
岡崎城には浄瑠璃姫の供養塔が祀られていました
岡崎の市街地にも浄瑠璃寺があります。
ここには、浄瑠璃姫の守り本尊・薬師如来と源義経と浄瑠璃姫の
像が祀られています。
長者・兼高夫妻は、娘・浄瑠璃姫の菩提を弔うために十王堂を
建てました。
十王堂は阿弥陀如来を中心に西方浄土に渡るまでの間に巡る
十王尊が祀られています。
浄瑠璃姫が無事に三途の川を渡って極楽浄土へいけるようにと
願ったのでしょう。
堂内に祀られている十王尊です。
右端の鏡は、生前の行いを映し出す閻魔大王の浄玻璃(じょうはり)鏡
です。
長者・兼高夫妻は薬師如来に祈願して浄瑠璃姫を授かりました
一家で幸せな日々を送っていたのでしょう。
しかし、娘に先立たれてこれ以上無い悲しみのどん底に落とされて
しまいました
子が先立ち親を悲しませると地獄に落ちるといわれます
そこで閻魔大王ら十王尊を祀り、地獄に落ちないようにと祈念した
のでしょう
悲しみのなかでも、娘の安楽往生を願う親の気持ちが伝わって
きますね。
京都・浄瑠璃寺です。
薬師如来が祀られている三重塔から阿弥陀如来の祀られている
阿弥陀堂を眺めた風景です
間にある池がこの世からあの世に渡る三途の川を表します
無常の世から、喜び、怒り、悲しみ、楽しみ・・・全てをこの
池の中に捨てて渡っていくのでしょう。
長者・兼高夫妻の人生も、浄瑠璃姫の人生も、源義経の人生も
そして、閻魔大王の浄玻璃境に映ったものも捨てるのでしょうね。
愛する人との出会いや別れ・・・
とても、寂しく悲しくも見えますが、そこには人間として純粋に
生きるという『美しさ』も感じます。
出来事はハッピーエンドでなく、悲しい結末に見えますが、
一途に真っ直ぐに生きた人たちの人生は、悲哀と後悔だけでは
なかったのではないかと思います
また、そんな切ない話があるからこそ、現代に生きる私たちは
《そうならないように努力する》事ができるのかもしれませんね!
次は、浄瑠璃寺の境内を散策してみます
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