今回のいい寺は・・・
浄瑠璃寺の御堂です。
浄瑠璃寺の案内板に『浄瑠璃寺(九体寺)』とありました。
「浄瑠璃(薬師の浄土)だけでなく九体阿弥陀さんの寺
でもあるのですよ。」
境内は西方浄土(阿弥陀の浄土)にもなっていることを
和尚さんが私達に教えているのでしょう
九体阿弥陀堂です。
ここには平安時代から九体阿弥陀が祀られています。
建物の造りは長方形で屋根は低く、御堂内に九体の
阿弥陀如来を祀るには、小さな建物ですね
九体の阿弥陀如来の前には、それぞれの唐戸があって
戸は開けられてありました。
御堂の真ん中で屋根の一部が前方に突き出し、拝礼の
場所となっているところを《向拝》(ごはい)といいます。
堂内ではなく、ここが拝礼する正式な場所なのでしょう
格子戸の隙間から灯明が見えました
なにげないローソクの灯りですが、灯明と花と飾り香を
焚くことによって、阿弥陀如来の存在を感じることが出来ますね。
御堂の傍らで、和尚さんが阿弥陀如来に供える花を活けて
いました
境内の掃除を終えて、野に咲く草花を供えるのでしょう。
日々同じことの繰り返しですが、変わらずに行うことによって
平安時代から今日まで境内が守られてきたのでしょう
そして、誰もがお参り出来るようにと山門には拝観料を払う
場所がありませんでした
外からでも阿弥陀さんを拝むことは出来ますが、仏さんの
姿を見たいときは供養として拝観料を払ってお堂の中に
入ります
お寺は訪れる人のために開放されているのですね。
このような貴重な文化遺産のある寺社仏閣は観光地化
されていて山門の入口で拝観料を払うところが多いのが
常識になっています。
価値のある文化遺産を管理維持しながら公開するわけです
から拝観料というのはもっともな事かもしれません。
しかし、仏教寺院の建立時においては寺院というのは
信仰を求める人などが訪れる法域だったのではないか
と思います。
それを考えると、この浄瑠璃寺のような形で境内を公開
している寺院は仏教寺院本来の姿に近いのかもしれま
せんね。
とても素晴らしいことだと思いました
いずれにしても、そういった先代住職からの考えを大事に
しているこのお寺。
私達もそんな気持ちを察して訪問し、境内を散策しないと
いけませんね!!
御堂の中には九体阿弥陀如来が整然と並んでみえます。
中央のひと回り大きい中尊の阿弥陀如来は手を開いて
来迎印を結んでいます。
阿弥陀如来の前の台は供物を置く場所となっています。
堂内は、仏殿や本堂というほど大きくなく、荘厳な飾りも
なく、ただ九体阿弥陀如来を祀るだけの場所のようですね。
「仏殿ではなく大きな厨子と思ってください。」との説明に
納得をしました。
この御堂の中には九体阿弥陀如来のほかに、《吉祥天立像》
が秘仏として祀られています。
平安朝風の衣装で、仏の荘厳さと現実の女性を思わせる
姿をしています。
公開の日には多くの拝観者が訪れます
対岸から見た九体阿弥陀堂です
阿弥陀さんは西方浄土(彼岸)にみえます。
私たちはこの世(此岸)にいますから、対岸から手を合わせる
のが一番自然ですね
特別な日には九体阿弥陀如来の前に蝋燭を置き、夜間に扉を
開けて御堂を灯します
対岸からは、池泉の水面に来迎の阿弥陀が浮かんで見える
そうです。
その幻想的な世界を是非、見てみたいですね
浄瑠璃寺には伽藍の荘厳さや華やかさはありませんが、
自然が織りなす四季の変化を楽しめます。
そして、景色を眺めていると、私たちが及ばない自然の力を
感じることもありますね
春と秋の彼岸の中日には、東方薬師如来を祀る三重塔の
真上から太陽が昇り大日如来の存在を表す阿字池の上
を通り、九体阿弥陀如来の中尊の真上に太陽が沈みます
太陽がこの真ん中を通るお彼岸の頃は、「暑さ寒さも彼岸まで」
といわれ、季節の変わり目で暑くもなく寒くもない過ごしやすい
時期ですね
また昼と夜の時間がちょうど同じです。
そこで「両岸のどちらにも偏らないように」
「同じであるように向かい合っていきましょう」
と私たちに伝えているようですね。
太陽の恵みによって地球の自然は成り立っていますね
私たちも、知らず知らずのうちに自然からたくさんの生きる
恩恵を受けています。
それだけでなく、自然から色々な事を学び智恵を頂いて
いますね
日常の生活のなかで、ゆっくり歩いてみて自然に目を
向けるとその事に気がつくことがあります
そんなゆとりが欲しいですね。
もしかしたら、お寺を散策するゆとりが生活のゆとりかも
しれませんね
私がお寺や和の良いところを探して気づいた事や
学んだ智恵は、皆さんにもここでお伝えできたら
いいなと思っています♪