大分《青の洞門》

今回のいい寺は・・・
青の洞門です★

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耶馬渓の下流にある秘境のお寺《羅漢寺》には禅海和尚
祀ったお堂「禅海堂」がありました

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羅漢寺へ向かう途中の岩山です。
中腹には人の通った跡があります
昔はこの断崖絶壁の険しい道を鎖のみで通って羅漢寺に
向かったのですね

諸国遍歴の旅の途中、禅海和尚はこの難所で通行人が
命を落とすのを見て、村人の為に安全な道をつくることを
決意したそうです

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耶馬渓の下流には羅漢寺へ向う人のために作られた
青の洞門》があります。

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禅海和尚は托鉢勧進によって掘削の資金を集め
「ノミと槌だけで30年かけて青の洞門を掘りぬいた」
と言われています。

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青の洞門》は逸話を元に書かれた菊池寛の「恩讐の彼方に
という小説のなかで命名されたものです
今では遊歩道になっていて歩いて通ることができます

四季折々に表情を変えていく景観の美しさ
紅葉はもちろんのこと、新緑、深緑、雪景色と一年を
通して楽しむことができる場所です

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中津出身の福沢諭吉は、この一帯の地所が売りに出されると
景観や環境を守るために私財を投じて買取り、荒廃の危機
から救ったそうです

耶馬渓を源流とした山国川は、豊前海にそそぐ大きな
河川のひとつです
日本におけるナショナルトラスト運動の走りといわれる
福沢諭吉の行動は豊前海をも救っていたのかもしれ
ませんね!!

今に残る偉大なる文化遺産はその当時の人の努力である事は
もちろんながら、それ以上に後世の「思いのある人」によって
守られてきているのでしょう
私たちもそのような思いを持ったひとりでありたいですね

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耶馬渓青の洞門のある中津は黒田氏、細川氏、小笠原氏、
奥平氏と、藩主が代わる代わる治めた古い城下町です。
往時は「西の博多か東の中津」とも謳われた場所です。

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福岡県の小倉から大分県北部にかけて広がる豊前は古くから
漁業が盛んでした
とりわけ中津のハモは大ぶりで本場とされる京都をもしのぐ
逸品だそうです

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細川氏の時代、藩主が漁師を集めてハモ料理を考案させた
という説があるくらい、ハモは昔から獲れていたそうです。
中津では、どこの魚屋さんもハモの骨切りができますし、
専用の包丁を持っている家庭もあるそうです

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豊前海には広大な干潟があります。
この干潟こそ、豊前海の宝なのだそうです
内陸に豊かな森を控えた豊前海には、鉄分を多く含む栄養の
豊富な水が河川から流れ込んでいるからです
そして干潟と良質な砂泥質の海底は海藻を育て小魚を育み、
遠浅の干潟には壮大な生態系が形成されています!

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ハモ料理が有名になったのには、ただ単に沢山獲れたという
だけではなく、藩主が政治的に推奨したことも背景にあります。
それだけではなく、そこの地域の漁師や町の方々が創意工夫
して努力を積み重ねてきた結果なのでしょうね!

名物も名所も決してひとりだけで出来るものではないと
思います。
そこには後世を含めたくさんの人の思いと努力があって
こそのことだと思います。

何かをなそうと思えばそのようなたくさんの人の気持ち
まとめることが大事なのでしょう

次は、羅漢寺を訪れます
 

※耶馬渓についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/148/
 

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