今回のいい寺は・・・
全国羅漢寺の総本山・羅漢寺です。
BS朝日・五木寛之の百寺巡礼で最後に訪れた
お寺です
羅漢寺の歴史は古く、大化元年(645年)インドの僧・
法道仙人が、お釈迦様が活動した王舎城・著闍崛山
(ぎしゃくっせん)に似ていることから、この洞窟で
修行したのが始まりです。
法道仙人は、中国、朝鮮を経由して九州に渡って
きました
仏教の聖地に似ているこの地で、地ならしをしてから
近畿に向かったのでしょう。
瀬戸内海を渡り、播磨国(兵庫県)に多くの寺院を
創建したそうです。
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを
はじめ、日本に伝わる宗教は、先ず九州に上陸
してから都のある近畿へ向かいました
大陸に教えを求めに行く学僧も九州を経由しています。
九州は宗教伝来のポイントとなる地だったのですね!
大阪・四天王寺の西門です。
ここが渡来した文化や宗教は、瀬戸内海の海路を通って
大阪で上陸し朝廷の元へと向かいました
古来より瀬戸内海は、重要な航路だったのですね
瀬戸内海の東の端が大阪で、西の端が大分です。
大分の領主・大友宗麟も瀬戸内海から京都に出向き、
大徳寺で禅宗に帰依しました。
そして、要所である九州で南蛮文化に触れ宣教師と
出会うことによりキリシタンに改宗しました
熱心な信者になったが故に領内の神社仏閣を邪宗
として焼き払い、宮崎にキリシタン王国を創ろうと
しました
大友宗麟の行動は、当時の歴史文化そのものを
映し出していますね。
羅漢寺も大友宗麟の兵の焼き討ちにあいました。
その時、境内で石造の龍の眼から光が発せられ
その威力に力を失った将兵は退散してしまい、
難を逃れたそうです。
ここは争い事とは無縁で、静かに修行する場所だと
察して速やかに退散したのかもしれませんね。
武力があれば、何でもなせると考えるのが当時の常識
だったのでしょう。
このような出来事は驚くべき出来事だったのかもしれません。
仮に力で征服しても仏教を求める人の心までは征服
できなかったのでしょう。
現代でも次元は違いますが様々な力関係があり、大小
たくさんの権力闘争があります
儚き権力闘争という力で人を抑えるのではなく、対話に
よる信頼関係で人間関係を作っていきたいものですね!
当初は、法道仙人の残した金銅佛を中心にした
山岳仏教の霊地でした。
天台宗・修験道の時代が過ぎて、臨済宗・円龕照覚
禅師が五百羅漢、十六羅漢の石像を安置して
羅漢寺となりました。
そして、江戸時代には曹洞宗に鞍替えして
現在に至っています。
羅漢さんは正式には阿羅漢といいます。
阿羅漢は仏教で尊敬する聖者のことで、お釈迦様
の弟子の修行する理想的な姿だそうです。
色々な姿の阿羅漢さんがいました。
きっとみなさん悟りを開いているのでしょうが、
まだまだ修行が足りないのか唸っている阿羅漢
さんもいました。
現実の人間社会と同じなのかもしれませんね。
色々な失敗やつまづきがあって、それらを糧に
人間としての在り方(道)を学んでいく。
私たちも現実の生活のなかでそのような向上を
目指す生き方をしたいものですね
五百羅漢がみえる無漏窟の中央にはお釈迦様が
祀られています
羅漢寺の山号になっている著闍崛山(ぎしゃくっせん)は、
お釈迦様が多くの弟子に『無量寿経』『観無量寿経』
『法華経』『般若経』を説かれた場所で霊鷲山(りょうじゅせん)
の音写です。
お釈迦様は八年間も霊鷲山で仏法を説かれ、その間に
一万二千もの仏弟子や信者がいたそうです。
ここに多くの石仏や阿羅漢さんが祀られているのは、
霊鷲山の仏弟子を表しているからなのでしょう。
そして、阿羅漢の他にお釈迦様の脇侍菩薩である
普賢菩薩と文殊菩薩、四天王、八大竜王、梵天が
みえました。
これらの諸仏は阿羅漢のサポートが役目なのでしょう。
獅子にのった文殊菩薩です。
長い年月の間に右手の剣は無くなってしまいました。
左手には箱を持っています
ここは臨済宗と中国・天台宗の二人の僧侶が、わずか
1年で700体もの阿羅漢や諸仏を彫ったそうです。
国籍や宗派の違う二人の僧侶が力を出し合ってひとつの
ことを成し遂げたのです
箱にはその支えとなった知恵が入っているような気が
しました♪
五百羅漢がみえる無漏窟からひとり離れたところに
阿羅漢がみえます。
お釈迦様の第一高弟・ビンヅル(賓頭盧尊者)です。
「ビンヅルは、あまりに明晰でお釈迦様の考えている
ことが全て分かるために敬遠されて外されている」
と説明書きにありました
私たちが知っているビンヅルは、自分の病気の場所と同じところ
をなでると、病気が治る大変ありがたい阿羅漢「おびんづる様」
として親しまれていますね
五百羅漢がみえる「無漏窟」の扁額とたくさんのしゃもじです。
「漏」は《煩悩》を表します。
「無漏窟」は煩悩が無い境地に至る場所ということです。
一休さんの言葉に
「有漏地(うろち)より無漏地(むろち)へ帰る 一休み
雨ふらば降れ 風ふかば吹け」とあります。
この世は、とかく拘ることが多いけれど、自然に受け入れる
ことができれば何事も問題ない(無漏地)ですね。
世の中のすべての事に対応して、すべての事を解決しようと
思っても無理があります。
特に人生の問題を解決することは、なかなか難しいです。
解決しようとする心を一呼吸おいて、受け入れる心を見出せば
自然に問題は解決する、と一休さんは諭しているのでしょうか。
たくさんのしゃもじには参拝者の《願》が書いてありました。
ご飯をすくうしゃもじに願い事を書いて救ってもらおうという
意味があります
しかし、この願いが強いと《欲》に変わることがありますから
「無漏」としゃもじの願掛けは対照的な気がします。
ここにしゃもじを張り付ければ、単純に願いを叶えてくれる
というわけではないかもしれませんね
「その願いは、ここに置いて普段の生活に戻りなさい。
そうすれば、きっと《願》は叶いますよ。」
そんな言葉がお釈迦様から聞こえてきそうです
修行の五百羅漢と信仰のしゃもじ!
両方の顔を持つこの羅漢寺を、もう少し探ってみます