今回のいい寺は・・・
信仰の寺・羅漢寺です。
羅漢寺は修験道の道場として開かれたお寺です。
臨済宗の和尚さんが五百羅漢を彫って祀った頃は
羅漢寺への道は、とても険しいものでした
信者は大変な思いをして境内にたどりついたそうです。
この険しい山を登る人々の信仰心は相当に厚いもの
だったのでしょう。
そして、仏様にすがる気持ちも大きかったのでしょうね
羅漢寺の頂上から見た参道です
ある和尚さんが言っていました。
「迷いや悩みは誰にでもあり、それを誰かに聞いて
もらいたいと思う。
実際にそれを持って寺に訪ねてきて、そのことを
打ち明けることが出来たら、その問題は半分以上
解決している。」
登る力があれば、その力こそが悩みを解決していく
エネルギーとなるのでしょう
私たちも様々な困難や障害にぶつかったとき、
「何とかしたい」という切なる思いや《エネルギー》だけは
しっかりと持って強く生きていきたいものですね
羅漢寺の向いには「古羅漢(ふるらかん)の景」と呼ばれる
峰があります。
この峰には、付近から一夜にして飛来したといわれる
阿羅漢が整然と並んでいます。
国東半島の熊野磨崖仏や臼杵の磨崖仏と同じように
石仏を祀り、自然に対する信仰が盛んに行われて
いたのでしょう。
羅漢寺は、対照的に自然のままの道場という感じですね。
羅漢寺の歴史は大きく三つに分かれます。
険しい道を歩み羅漢寺へ来ることを課した天台宗の時代。
五百羅漢等の石仏を祀り境内の形が整った臨済宗の時代。
遍く信仰者を受け入れた曹洞宗の時代。
信者にとってのターニングポイントは禅海和尚が
青の洞門を掘ったときでしょう
青の洞門により羅漢寺は《修行の寺》から《信仰の寺》
へと変わっていったのでしょう。
そして、今はより多くの参詣者が訪れられるように
リフトが稼働しています。
羅漢寺名物のしゃもじが至るところに貼り付けて
あります。
訪れた人は阿羅漢さんに救ってもらおうと、ご飯を
すくうしゃもじに願いを書いて奉納します
阿羅漢さんは修行で自分のアカ(悩み)を捨てた上で、
お参りに来る人々がしゃもじに書いた《願》というアカを
すくってくれるそうです
阿羅漢さんも自身の解脱(小乗)だけを求めるのではなく
全ての人の救済(大乗)のために願いを聞いてくれます。
本来、仏教は分け隔てなく大衆を救うということが
大切な教えとなっています。
しゃもじに願いを書いて奉納するときに大切な事が
あります
賽銭箱には「大喜大捨」と書かれています。
喜捨とは、我欲を捨てて社会に貢献するという意味です。
しゃもじに書いた自分の願だけでなく、周りの人の願も
叶えられるように手を合わせましょう
そして、
「欲張らなければ自然に願いが叶いますよ」と無漏窟
から聞こえてきそうです。
三途の川の脱衣婆さんがいました。
あの世に渡る前に欲を捨てさせるのが、お婆さんの
役目です。
欲を捨てた人には、証として六問銭を渡します
「地獄箱」が置いてありました
欲や悩みが多いと三途の川の下に流されて地獄に
落ちてしまうといわれています
そこで、この世にいるうちに欲や悩みを書いて捨てる
のでしょう。
欲や悩みや罪が大きくて、この世ではとても捨てきれない
と思うときには、お地蔵さんにすがるそうです
お地蔵さんが最後に全ての人を救い、彼岸・西方浄土に
送ってくれるそうです
羅漢寺には千体のお地蔵さんがいますから安心ですね
羅漢寺の本堂です。
屋根に櫓がある珍しい建物ですね
櫓からの眺望です。
遠くの山並みまで見渡せました
《ひとのために》と道無き道を掘削し人が通る道を作って
くれた先人がいるからこそ、私たちはこの素晴らしい景色を
眺める事ができるのですね!
私たちはひとから多くの恩恵を受けていながら、他人に
無関心であったり、迷惑をかける人がいます。
「満足や幸せは自分だけのものにしたい!」
という自分中心の考え方をするのではなく、幸せは
自分の周りの人とも共有したいものですよね
次は子供の健康と成長を願う《地蔵盆》についてです♪
※青の洞門についてはコチラ↓
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※六問銭についてはコチラ↓
いい寺★徳川家と真田幸村
e-tera.net/Entry/124/