今回のいい寺は・・・
松平郷・高月院です♪
世界のトヨタ自動車の本拠地・豊田市の
山里にある松平郷に行ってきました
松平郷は徳川家発祥の地で、松平東照宮や
菩提寺・高月院があります。
徳川家康も元々は《松平家康》と名乗っていました
途中には、名古屋グランパスの準ホーム・
トヨタスタジアムがあります
斬新なデザインの建物で、整えられた芝生と
観客席の赤が試合の興奮を想像させてくれますね!
豊田市はトヨタ自動車の力で新しい姿に変化しています
松平郷に近づくにつれて、のどかな風景となっていきます。
今年は猛暑だったおかげで、米が沢山実り稲穂がしっかり
垂れていました
稲刈りの時期がもうすぐのようですね。
こんな店も見つけました
「松平まんじゅう」
ジャンボまんじゅうも売ってるそうです!
松平郷の高月院は、緑に囲まれた自然豊かな場所にあります。
春には桜が咲き、初夏のころには菖蒲が、梅雨のころには
紫陽花、秋には鮮やかな紅葉となり、雪化粧の松も風情が
あって一年を通して楽しめます
高月院は、浄土宗の寺院で徳川家康の先祖・松平氏
の菩提所です。
足助重政が在原重信(松平氏の始祖・松平親氏の養父)
の庇護を受けて創建し、当初は寂静院と称しました。
その後、松平親氏が本尊阿弥陀如来をはじめ諸堂を
寄進して、現在の本松山・高月院と名を改めて松平氏
の菩提所となりました。
松平氏墓所には松平親氏、二代泰親、親忠夫人の墓があります。
松平の姓との関係でしょうか、境内のいたるところに
記念の植樹がされています。
徳川家康お手植えの松の碑もありましたが、肝心の
松は見当たりませんでした
松平氏の始祖・松平親氏です。
松平親氏は、清和源氏の流れをくむ新田氏の支族で、
世良田氏(得川氏)の一族出身で、一族の没落後、時宗の
僧侶となって徳阿弥(とくあみ)と称して諸国を行脚して
松平郷にたどり着き、在原重信に才能を見込まれて
末娘の婿として家督を継がされました。
説明が長くなってしまいましたが、源氏しか就くことが出来ない
征夷大将軍に徳川家康が就任するために整理された経歴
ともいわれています。
司馬遼太郎は「「街道を行く」のなかで、この事を厳しく指摘
しています
ただ、歴史は後から作られるともいわれますよね。
徳川家康が松平から徳川の姓に変わった理由には、得川氏
の存在があったのでしょう。
現在の本堂や山門は三代将軍・徳川家光によって
建てられたものです。
参道も石段もキレイに整えられていました
本堂の方から賑やかな声が聞こえてきました
高月院でも子供の修養会が行われていました。
小さな木魚を叩いて皆で念仏を唱えるのでしょうね
訪れた時には、数珠を作っていました。
お坊さんに教わりながら、子供たちも真剣なまなざしです。
三つ葉葵の紋が高月院の歴史を物語っているようです。
子どもたちは自分で作った数珠を手にして
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるの
でしょう。
数珠に限らず、自分で作ったり、体験したりすると
ぐっと身近なものに感じられますよね!
お寺に泊ってみんなで過ごすことも思い出になりますね。
本堂に泊まるのはちょっとだけ怖いような気もしますが、
みんなで寝る楽しみもあります。
あんまり楽しくて夜更かしをすると、お寺の朝は早いので
翌朝が大変ですね
司馬遼太郎が「街道を行く」で訪れたとき、昔の松平郷との
違いに落胆したそうです
当時の松平郷がどのような村だったかは分かりませんが、
山間の平地には田んぼが広がり、私には自然と調和した
山里に見えました
高月院からの眺めです
松平郷を訪れるとまず松平東照宮があります。
そこから、整備された道を上っていくと高月院に着きます。
日傘をさしたご婦人が、のんびりと坂を下って行きました。
参道左手の塀を室町塀というそうです。
塀の向こうには、小川に沿って遊歩道も整備されており
歴史を感じながらゆっくりと史跡を巡る事ができます
次は松平東照宮と葵の紋についてです♪