今回のいい寺は・・・
下鴨神社と双葉葵についてです。
徳川家康は、松平郷・松平親氏を始祖として松平家から
《徳川》と姓を変えて、征夷大将軍となりましたが、
家紋は松平親氏の養父・在原重信より伝わる《葵》を
使用しました。
清和源氏の流れをくむ新田氏の紋は銀杏だそうです。
源氏の末裔を名乗っても《葵の紋》を通したところに
徳川家康の葵に対する思いが感じれられますね!
岡崎城で使用した昔の瓦です。
この紋は「立ち葵」といい、本多氏が使用した紋です。
徳川家康は、天下を取ると家来に葵紋の使用を禁じた
そうです
家来の本多氏は、元賀茂神社の神官であったと
伝えられ「立ち葵紋」を使用していました。
徳川家康は、本多忠勝に葵紋を用いないように
求めましたが、「本多家は京都・賀茂神社に仕える
賀茂族の流れをくみ、賀茂の家紋である葵紋を
使用することは当然」だと言って断ったそうです
徳川家康が岡崎城を居城とした時期は短く、地の利の
良い浜松城を居城として家来が岡崎城を守りました
江戸時代になると、岡崎は譜代大名の領地となり、
最後は本多氏が明治になるまでの120年間を
治めたそうです。
本多氏の使用した文箱です。
本多氏は2つの紋を使用したみたいですね
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)通称・下鴨神社
(しもがもじんじゃ)です。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の
氏神を祀る神社で両社を合わせて《賀茂神社》と
総称されています
境内の自然林は「糺(ただす)の森」と呼ばれ、
東京ドームの3倍の広さだそうです
平安京以前の原生林を残す貴重な森林として
国の史跡に指定されています
参道には、国家「君が代」で歌われた《さざれ石》が
ありました。
さざれ石は「小さな石」という意味で、年とともに
成長してやがて岩となると信じられ、神霊が宿る
石だそうです
北京オリンピックでも「君が代」が流れましたね。
表彰台に立つ日本人選手の活躍ぶりに感動させられました。
今後も若い人たちが世界の舞台で活躍してくれる
ことを願いたいですね!!
本殿前のボンボリには双葉葵が描かれていました。
柔らかな灯りに映し出された上品な双葉葵ですね
拝殿の奥が本殿です。
両側に並ぶボンボリが幻想的で、下鴨神社の歴史と
威厳を感じさせます。
拝殿の唐破風の飾りにも双葉葵がありました。
双葉葵は葵祭が行われる時期に咲く植物だそうです
葵祭は京都三大祭りのひとつで、昔は祭りといえば葵祭を
さしたそうです。
毎年5月15日に総勢五百数十名の王朝絵巻さながらの
衣装で下鴨・上賀茂神社へ行列が進みます
その時に祭りにかかわるすべての人々が、清浄のしるし
として葵と桂を身につけることから葵祭と呼ばれるように
なりました
本殿の鬼瓦には、三つ葉葵が飾られていました。
徳川家の三つ葉葵紋も、元は賀茂神社の紋かもしれませんね。
本殿前には「鴨の社の干支詣で」といって各干支に関係した
神様が祀られていました
自身の干支を司る社に参詣して、絵馬に願いを書き奉納
します
また、下鴨神社は縁結びの神としても有名で、縁結びに
関係したお守りが色々ありました
本殿の東には、井上社 別名・御手洗(みたらし)社が
あります。
下鴨神社の糺(ただす)の森から湧く水は、ここから
霊水として流れ、御手洗川、奈良の小川となって
鴨川へと注いでいます
土用の丑の日には、社の前の御手洗池で「足つけ神事」が
行われ、夏の風物詩となっています
「足つけ神事」は平安時代から行われ。貴族たちも恒例に
していたお祭りです。
膝下ぐらいまでの水位の御手洗池(みたらしいけ)に足を
ひたし、水の中をそろそろ歩いて井上社にろうそくを
献じます
そうしてお参りをすると罪、けがれを祓い、疫病にかからず
元気に夏を過ごせるそうです
今は水位が低いのですが、土用の頃には御手洗池に
清水が湧き出るそうです
下鴨神社七不思議のひとつだそうです。
池底から自然に吹き上がる水泡をかたどったのが
「みたらし団子」の始まりと伝えられています
提灯にも双葉葵が描かれていました
双葉葵のデザインも様々ですね!
下鴨神社は平安時代以前から存在する京都で最も
古い神社の一つとして、平成6年に世界文化遺産に
登録されました
建物と境内の森、どちらも守られていきますように!
次は、一つの発見から大きな遺跡群となった
佐賀の吉野ヶ里遺跡に行ってみます♪
※上賀茂神社(賀茂別雷神社)の観月祭はコチラ↓
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※徳川家康生誕の地・岡崎はコチラ↓
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