今回のいい寺は・・・・・・
清水港を見下ろす景勝地・日本平です♪
晴れた日には、駿河湾の向こうに富士山から伊豆半島の
先端までが一望できます
先端までが一望できます
清水は駿河湾の奥にある港町です
三保の松原が連なる半島によってできた折戸湾が
海運の拠点となって栄えてきました。
江戸時代には、甲斐や信州の幕府領地から富士川水運を
利用して年貢が清水港に運ばれ、集積拠点として賑わった
そうです。
利用して年貢が清水港に運ばれ、集積拠点として賑わった
そうです。
駿府城の築城の折りには、清水港に資材が集まり
ここから巴川を上って運搬しました
安倍川から流れ出た砂利が集まって半島を形成し
5万本以上の松が生い茂っているそうです。
この素晴らしい景観から天女が舞い降りた「羽衣伝説」が
うまれました。
うまれました。
日本平の中腹には、清水エスパルスのホームグランドが
あります
あります
清水は、サッカー王国として知られていますね。
日本サッカーの発展のために毎年「全国少年少女草サッカー
大会」が行われています
大会」が行われています
地道な活動の中から海外で活躍する選手が生まれるのでしょうね!
山頂に近づくにつれて、一面にお茶畑が広がってきました。
清水といえばお茶や次郎長一家も有名ですね
「旅姿三人男」
清水港の名物は お茶の香りと男伊達
見たか聞いたかあのタンカ
粋な小政の 粋な小政の 旅姿
見たか聞いたかあのタンカ
粋な小政の 粋な小政の 旅姿
頂上付近のお茶畑と清水港です
江戸時代は、幕府の直轄地で年貢の集積地として港が
栄えましたが、明治になって直轄地としての役割を失い
港は寂れてしまいました
栄えましたが、明治になって直轄地としての役割を失い
港は寂れてしまいました
その後、海外と貿易のできる開港場に指定されて茶を扱う
外国商社が多くおかれ茶の主要輸出港として力を取り戻し
たそうです
外国商社が多くおかれ茶の主要輸出港として力を取り戻し
たそうです
堅気となった清水次郎長も、清水港を国際貿易港にする
ために自宅に英語教師を雇って青年に英語教育を奨励
したそうです
ために自宅に英語教師を雇って青年に英語教育を奨励
したそうです
これが日本で初めての英語塾と言われています
現在の清水港は、羽衣フーズのシーチキンでマグロの
水揚げ高日本一になり、コンテナ貨物の国際港として
活路を見出しています
水揚げ高日本一になり、コンテナ貨物の国際港として
活路を見出しています
最近では、天女も舞い降りた景勝地・清水にクイーン
エリザベス2世号をはじめ多くの観光船が来航するそうです。
エリザベス2世号をはじめ多くの観光船が来航するそうです。
日本平の頂上は、テレビ局の送信所となっています
右端は地上デジタル放送用の送信施設です
日本武尊(やまとたけるのみこと)が日本平の麓で野火
攻めに遭った時、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で
草をなぎ払って難を逃れた話から、その場所の地名が
草薙(くさなぎ)となり山の名が日本平となったそうです。
攻めに遭った時、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で
草をなぎ払って難を逃れた話から、その場所の地名が
草薙(くさなぎ)となり山の名が日本平となったそうです。
天叢雲剣は、名古屋・熱田神宮に祀られています
そして、日本平の向こうには久能山が連なっています。
大昔には久能寺があり、武田信玄によって久能城となり、
今は徳川家康を祀る久能山東照宮となっています
久能山東照宮へは、日本平の頂上からロープウェーで
渡ることができます
渡ることができます
日本平のロープウェー駅にあったポスターです
全国各地にある東照宮の中で徳川家康との関係が深い
場所が三つのラインでつながるそうです
全国各地にある東照宮の中で徳川家康との関係が深い
場所が三つのラインでつながるそうです
その中心に位置する久能山東照宮に行ってみます
※鳳来寺山 東照宮はコチラ↓
e-tera.net/Entry/158/
※松平東照宮と葵紋コチラ↓
e-tera.net/Entry/167/