静岡・駿府城

今回のいい寺は・・・・・・
駿府城です

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1・富士
静岡市からの眺めです

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2.
徳川家康の鷹を持つ姿です。
 

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3.茄子
徳川家康は、清水・折戸の茄子が好物でした
1.富士 2.鷹 3.茄子
徳川家康が駿府に居城を構えた理由であげた三つです
他にも意味が色々あり、富士は「広大」鷹は「つかみ取る
茄子は「成す」を表すそうです
いずれも吉を表し、「この三つの夢をみれば万事吉」と
言われていますね。

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徳川家康は幼少期の8歳から、今川義元が治めていた駿府
人質として住んでいました
その間に今川家軍師で静岡・臨済寺雪斉和尚から勉学の
指導を受けたそうです
臨済寺には、「徳川家康・手習いの間」が今でも残っています。
当時、岡崎は今川家の支配下にありましたが、19歳の時に
桶狭間の合戦で今川義元が討たれると岡崎に戻ったそうです。
 

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徳川家康の武将としての才覚は、人質時代に培われたものと
言われています。
忍耐強く機会を伺い、関ヶ原の合戦の勝利で天下を治めることに
なりましたね!

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徳川家康征夷大将軍となって徳川幕府を開くと直に三男・
徳川秀忠に将軍職を譲り徳川幕府は世襲であることを諸大名
に示してから、駿府に移りました
 
駿府に移って亡くなるまでの12年間、この地から諸国に睨みを
利かせて徳川幕府の基礎を築いていきました。
隠居の身となっても実権を握って政治を行ったので「大御所政治」と
言われています。

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駿府城から発令されたものには、武家諸法度禁中並公家諸法度
キリスタン禁止令があります。
そして、最後の仕事として「大阪の陣」へと向かっていきました
夏の陣豊臣家が滅ぶまで「南無阿弥陀仏」を書き続けたそうです。
それは、孫娘・千姫の嫁ぎ先の豊臣家を滅ぼすことへの供養の
為か徳川家の安泰の為か、数々の戦の中で失った家来や討ち
取った武将の供養の為だったのでしょうか!
 
戦国時代は徳川家康によって終焉し、天下太平の世を
迎えましたね。
 

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駿府城内に徳川家康お手植えのミカンです
 
日光山輪王寺には、大黒頭巾を被り寛ぐ晩年の姿の肖像画が
あります。
隠居の身となりながら大御所政治で奔走しましたが、大阪の陣
機に大黒頭巾型の兜を脱ぎ本物の隠居さんになったのでしょうね。
七福神の大黒さんは「裕福」を与えるそうです。
 
この七福神の顔ぶれが決まったのは天海僧正徳川家康
七福神の徳を説いてから後のことだそうです
 
*夷は清兼、大黒は裕福、毘沙門は威光、弁財天は愛嬌、
 布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を与えると
 いわれています。
 

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徳川家康の死後、徳川秀忠の二男・徳川忠長が藩主と
なりますが乱心のため兄・家光によって改易とされ、その後は
幕府直轄地(天領)となりました。
徳川家康によって創建された天守閣は失火により焼失し、
二度の大地震(宝永、安政)で石垣まで崩れる尽大な被害を
受けたそうです。
 
明治には、建物も取り壊されて城内は陸軍の管轄となりました。
現在では駿府公園となり、平成になって東御門と巽櫓が建て
られて城の雰囲気を取り戻しました

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堀の石垣です。
石積みが違うのは、地震のつめ痕でしょうか
東海地方には、周期的に大地震が起きると言われていますね
 

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発掘された旧堀と静岡県警庁舎です。
大政奉還により明治元年に官軍が駿府に駐屯して駿府藩が
成立し駿府町奉行所が廃止されました。
 
徳川宗家16代を継いだ徳川家達駿府城に入り、勝海舟
山岡鉄舟が同行して駿府藩幹事役に就いたそうです。
 
そして、駿府町差配役に就いた伏谷如水が清水次郎長
召し出しました。
街道一の大親分といわれた清水次郎長の渡世人稼業の
なかで、これまで犯した罪を放免として、東海道の沿道警護に
当たらせました。
 
江戸時代から明治に変わる混乱の中、治安を維持するには
清水次郎長が適任と考えたそうです
毒をもって毒を制す」今では考えられないことですね。

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駿府公園の周りには、行政施設や文化施設が建ちならんで
いて静岡文化と歴史の中心地となっています。

 
平成の大合併で、静岡市に清水市、蒲原町が編入し
て政令都市となりました。
行政的なメリットがあるでしょうが、歴史のある地名
変わるのは寂しいですね

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そんな中、大河ドラマで徳川家康を演じた津川雅彦
映画監督・マキノ雅彦となって「次郎長三国志」を
制作しました
 
 
次は清水次郎長の生まれた街に行ってみます

七福神についてはコチラ↓
 「いい寺・七福神めぐり」
 e-tera.net/Entry/59/

※七福神めぐりの「泉桶寺」はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/60/
 
 

 

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