いい寺★実相寺と西尾の文化

今回のいい寺は・・・・・
実相寺と西尾の文化です。
 
西尾市は、むかし吉良荘といわれ京都・九条家
領地でした。
吉良と聞いて先ず思い出すのは、忠臣蔵の敵役・
吉良上野介ですね
吉良上野介の先祖は、清和源氏の流れを汲み
足利氏の支流という武家の名門でした。
三河地方の守護職に就いて吉良荘に入ってから
吉良氏と名のったそうです。
 
その後、内紛から西条吉良東条吉良に分かれて
勢力は弱体化してしまいます
ただ、足利将軍家の近臣として仕えて、名門としての
誇りは高かったそうです
東条吉良家は江戸時代には高家筆頭として幕府に
仕えましたが、元禄年間の刃傷沙汰がもとで改易と
なってしまいました
名門の誇りが仇となり、忠臣蔵の敵役として有名に
なってしまいましたね。
吉良上野介の領地は、西尾市に隣接する吉良町
なっています。

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西尾市は、江戸時代には西尾藩といわれ松平家の支流
大給(おぎゅう)松平家が藩主でした。
松平家の支流ということで家紋は「ひとつ葵」です。
 

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兜の前立は「」の一字ですね。
西尾藩の居城跡は整備されて、城門や櫓や歴史
資料館が併設されています。
 
徳川家康の父・松平広忠は、吉良氏の家臣でした。
時代は移り変わり、西条吉良氏は徳川家康によって
滅ぼされて、江戸時代に西尾藩となったそうです。
藩城・西尾城は、西条吉良氏の居城・西条城の跡地に
建てられました。
東条吉良氏は「名門の家を残す」ということで助かったそうです。

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西条吉良氏は滅びましたが、西尾には二つの文化が
伝承されています。
その二つの文化の発祥地・実相寺です。
実相寺は吉良氏の菩提寺として鎌倉時代・文永8年に
建立されました。
 
それは、モンゴル帝国フビライ・ハーンの使者が再来日
した年です
当主・吉良満氏は、吉良荘が京都・九条家の領地だった
関係で九条家の菩提寺・東福寺から聖一国師を開山として
迎えました。

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当時は、吉良氏の財力により境内には七堂伽藍の
堂宇が建ち、全盛期には40ヶ寺の塔頭があったそうです。
戦国時代に織田信長の焼き打ちにあい諸堂は全て焼失
してしまいました
 
今は、遠州地方の古堂を移した仏殿と周囲の老松が
古刹としての面影を残しています。

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境内の周りには、茶畑が広がっていました
聖一国師は、開山として迎えられた折りに境内により
持ち帰った茶の種を蒔いたそうです
当時、茶は修行の為の薬と考えられていましたから、
修行僧の為に京都から持ってきたかもしれませんね。
これが西尾茶の始まりといわれています。

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聖一国師が開山となり、国師の弟子・二世応通禅師に
寺の運営を託しました。
七堂伽藍の境内は、国師が修行した中国・径山万寿寺
模して造られたそうです

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鐘楼の釣鐘が、珍しい形をしています
鐘の下、裾の部分が八葉に型取られた日本では珍しい
日中混交式で八葉宝鐸型梵鐘 (はちようほうたくがた
ぼんしょう)と言います。
この釣鐘には、龍神が和尚の法話に感銘して寄進したとか
中国・径山万寿寺が火災にあった時、援助したお礼に頂いた
とか、諸説があります。
また、胴周りがのっぺりとして撞木の当たる所も無いので、
風鈴として飾られたという話もあります
どちらにしても中国文化が西尾に伝わったことを示すものですね。
 

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西尾に伝わる文化として有名なのが、三河万歳(みかわ
まんざい)です。
正月や慶事に披露する祝福芸で国の重要無形民俗文化財
に指定されています。
祝福芸というと染之助、染太郎の「おめでとうございます」を
思い浮かべますね。
 
この三河万歳は、二世応通禅師が中国へ留学中に習い
覚えた随の万歳楽が本となっています。
 
人々に仏教を分かりやすく説くために言葉と節を付けて
教えたのが始まりです
知多半島に伝わる尾張万歳も、応通禅師の兄弟子・
無住国師が名古屋・長母寺に入って法華経を分かりやすく
伝えるために知多の寺領で教えたのが始まりだそうです。
 

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吉良氏の菩提寺・実相寺の近くに隠居所・丸山御所が
ありました。
そこで、実相寺を中心にした中世文化を「丸山御所の時代
と呼んでいます。
その歴史を経て西尾茶は、茶の湯・文化として生活に
浸透しています
市内で抹茶を頂ける場所や販売店が至る所にあります。
 

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実相寺に隣接するコミュニティーふれあいセンターに
茶室がありました。
だれでも使用できる場所があり、みんなが親しむことによって
文化は広がるのでしょうね
 
 
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西尾城の中にある旧近衛邸で抹茶を頂きました
栗蒸し羊羹はとても懐かしい味がしました。

近所の和菓子屋さんのおじいちゃんが作る栗蒸し羊羹
が大好きでした。
朝早く、羊羹を蒸す湯気が窓から漏れていました。
栗を手でむき、絶妙な味加減で評判でした。
最近引退され、少し寂しいです。
 

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「お茶」と「三河万歳」
 

歴史を紐解くと色々な人や場所との繋がりが見えて
きますね
文化を伝えることは、歴史を伝えることになるでしょう。
そして歴史を知る事によって、文化を大切にする気持ちが
生まれると思いました。
 
 
清水次郎長は、治助から生まれ故郷は万歳の出る
ところと聞いていました。
「この土地は、万歳の出る処じゃないかね」
「ここは、本場ですよ」
「寺津はまだ先かね」
「矢田の一本松から半里いったところが寺津の町です」
茶屋で話を聞いた清水次郎長一行は、寺津の親分は
治助に間違いないと確信して先をいそぎました。
寺津の親分が治助なら、そこで侠客の修行をしようと
考えていました。
 
次は一行の跡を追って矢田から寺津に向かいます。

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