今回のいい寺は・・・・・
矢作川と矢作古川です。
西尾市と碧南市の境を流れる矢作川は三河湾に注いで
います
います
この三河湾で獲れる海の幸や塩は川を上り伊那街道を
通って信州へ運ばれました
通って信州へ運ばれました
そして、信州からは年貢米や物産品が矢作川を下って
きました
きました
現在の矢作川は、江戸時代になって川の氾濫を抑える
ため新たに開いた水路を通っています。
ため新たに開いた水路を通っています。
昔の水路は、西尾市と吉良町の境を流れていました。
こちらは、本流の矢作川と区別して矢作古川といいます。
矢作川で使用された帆掛け舟です
本流は川幅が広く、江戸時代は信州と三河を結ぶ
水運の要として重要な役割をしていました
水運の要として重要な役割をしていました
明治以降も水運が輸送手段の中心でした。
荷物をたくさん積んだ帆掛け舟が矢作川を上り下りして
活気があったそうです
矢作川を上っていくと支流の乙川に分かれて岡崎城に
繋がります
繋がります
江戸時代には、三河湾から岡崎城まで五万石船が
上っていったそうです
「五万石」という古謡で
「五万石でも岡崎さまは、お城下まで船がつく」
と歌われています。
淀川から京都・伏見に上った船が三万石なので
矢作川の五万石船は大きいですね
こちらは、矢作古川です
穏やかな流れで三河湾に注いでいます
昔、この地域は吉良荘といい、足利家の流れをくむ
吉良氏が治めていました。
吉良荘は、この矢作古川を境にして西条と東条に
分かれていました。
吉良氏が治めていました。
吉良荘は、この矢作古川を境にして西条と東条に
分かれていました。
足利家の流れをくむ吉良氏は、最初に西条の守護職に
就きました
室町時代には、西条と東条を合わせた吉良荘の領主と
なりましたが、一族内の争いから西条吉良氏と東条吉良氏
に分かれてしまいます
就きました
室町時代には、西条と東条を合わせた吉良荘の領主と
なりましたが、一族内の争いから西条吉良氏と東条吉良氏
に分かれてしまいます
応仁の乱の時には、東西両軍に分かれて戦った
そうです
そうです
両岸でにらみ合う吉良氏内の抗争は、一世紀にも
およびました
およびました
そして、吉良氏の分家にあたる駿河・今川氏から
侵攻を受ける事になってようやく和議を結んだそうです
侵攻を受ける事になってようやく和議を結んだそうです
今川氏の侵攻で内輪もめをしている場合ではなくなった
みたいですね
みたいですね
何時の時代でも身内の争いごとはあります。
きっかけは些細なことで、最初に水に流せば終わる事が
多いですね。
多いですね。
和解後も今川氏、織田氏、徳川氏を交えた戦が続いた
そうです
そして、西条吉良氏は徳川家康に討たれて西尾藩になり、
最後は忠臣蔵の事件により東条吉良も改易となって、
この地から吉良氏の名前は消えてしまいました
そうです
そして、西条吉良氏は徳川家康に討たれて西尾藩になり、
最後は忠臣蔵の事件により東条吉良も改易となって、
この地から吉良氏の名前は消えてしまいました
現在、歴史の舞台となった矢作古川では、春と秋の
10日間船遊びが行われます
10日間船遊びが行われます
「や・や・や矢作古川、船遊び」
地元・西尾市のボランティアが考案して開催しています。
船は岐阜・長良川の鵜飼船の払下げです。
愛・地球博の時に外国人来賓用に使用された船だそうです。
今は畳を敷いてありますが、外国人が足を伸ばせるように
船底は深くなっています
乗船すると御手洗団子2本とお茶を頂けます
夜間の船遊びでは鍋料理の食事をしながら川面の
風景を楽しみます
風景を楽しみます
のんびりと船に乗って川遊び
吉良家が矢作川で船遊びをしたという文献は
ありませんが東条西条に分かれて争う前は船を
浮かべて和歌を詠んだのではと想像したくなります
ありませんが東条西条に分かれて争う前は船を
浮かべて和歌を詠んだのではと想像したくなります
青鷺が今にも飛び立とうとしています
自然の中をゆっくりと下っていくと、普段目にしないような
風景を見ることが出来て楽しいですね♪
風景を見ることが出来て楽しいですね♪
川を下るとラジコンのボートが迎えてくれました
川下りの観客がいるとボートの操縦も張りきるそうです
西尾茶の茶畑が見えてきました
西尾市では2006年に1万人大茶会を開催して
ギネス記録に挑戦しました
ギネス記録に挑戦しました
1万4千以上の方が参加して見事に記録を樹立した
そうです
そうです
その時の特別ゲストは加藤茶でした
ところが今年の2月にインドでティーパーティーが
行われて、3万人以上が集まりあっさりと記録を
塗り替えてしまいました
行われて、3万人以上が集まりあっさりと記録を
塗り替えてしまいました
残念ですね!
ギネス記録は破られてしまいましたが、みんなで記録に
挑戦した楽しい記憶は残りますよね
船上ではガイドさんが色々な話をしてくれてあっという間に
時間が過ぎてしまいました
時間が過ぎてしまいました
ただ、ガイドさんの話で一度も吉良氏の名前出ませんでした。
吉良の歴史と深く関わった矢作古川ですが、吉良荘も
吉良氏も歴史の中で風化してしまったみたいですね
吉良氏も歴史の中で風化してしまったみたいですね
矢作古川も矢作川と同じように帆掛け舟で海の幸と
山の幸を運んだそうです
山の幸を運んだそうです
最近では岡崎の豪雨で矢作古川に沢山のゴミが流れて
きて、今回の船遊びを開催する前に大規模なクリーン作戦を
行ったそうです
きて、今回の船遊びを開催する前に大規模なクリーン作戦を
行ったそうです
川の恩恵をうけるには、先ず川を守らないといけませんね!
今は車社会となってしまいましたが、水運の方が輸送手段
としての歴史は遥かに長いですね
としての歴史は遥かに長いですね
三河地方は水運のおかげで、産業・経済が大きく発展した
そうです
そうです
高速道路で結ばれた地域を見るだけでなく、海や川で
結ばれた地域を知ることによって、歴史の流れが見えて
きますね。
結ばれた地域を知ることによって、歴史の流れが見えて
きますね。
その歴史を知る事によって、他の地域にも親しみを感じ
人の和が広がるように思います
人の和が広がるように思います
※西尾とお茶の関係についてはコチラ↓
いい寺★実相寺と西尾の文化
e-tera.net/Entry/180/