いい寺★吉良家菩提所・華蔵寺

今回のいい寺は・・・・・
吉良家菩提所・華蔵寺です。

 DSC_0381.jpg
 

矢作古川を上っていくと幾つもの支流に分かれます
のどかな小川の風景ですが、一度大雨が降れば
氾濫して被害をうけます
江戸時代の初めに矢作古川の氾濫を抑えるために
新たな水路を通しましたが、それでも矢作古川流域
では水害が度々おきていました

 DSC_0391.JPG
 

吉良の村々でも大きな被害をうけていました
領内を視察していた吉良上野介は領民の窮状を知り
水害から守るためにを築きました
こののお陰で水害の心配もなく稲穂が豊かに
育ったそうです
そこで黄金色に育った稲穂から「黄金堤」と呼ばれて
います。

 DSC_0399.jpg
 

治水事業の視察の時に吉良上野介は赤馬に乗って
領内を回ったという話があります
そこで、殿を慕う気持ちが郷土の民芸品になっています。
その歴史は三百年!
赤穂浪士に討たれたころから、この地域の子供の玩具
として親しまれているそうです

 DSC_0398.JPG
 

吉良町の吉良家に関係した場所では、この銅像が
迎えてくれます。
忠臣蔵の憎き吉良上野介義央とは違う姿で・・・・

659e0859.jpeg
 

吉良上野介が眠る片岡山華蔵寺です
 
戦国時代に東条吉良氏を継いだ吉良義安
今川義元に捉われて駿河の地で亡くなりました
妻は徳川家康の伯母桶狭間の合戦の後、子・義定を
連れて吉良に戻ってきました
それを知った徳川家康は伯母親子に禄を与えて吉良家
復興させます
そして、吉良義定が新しい吉良家の菩提所として創建した
のが片岡山華蔵寺です。
 
*西条、東条吉良氏と区別して復興した吉良氏を
  高家・吉良氏と言います。

 

 1ed06efb.jpeg
 

境内の片隅にある「真実をもとめて」の碑です
私達が知る赤穂浪士の物語は、江戸時代に歌舞伎
演目として作られた「仮名手本・忠臣蔵」が本となって
います
 
その内容は、史実にもとづいた事実だと思っていましたが
碑文には・・・
「元禄時代に吉良義央公浅野長矩公との間に不和を
生じ、その処理に冷静さを欠き、殿中で浅野公刃傷
及んだ事から、幕府の掟に触れ、家は断絶、身は切腹
という事になった

浅野公の舎弟大学氏の後継が不首尾になった結果、
旧臣たちは禄を離れることになり、一か八かで吉良公
討ち取ったが、当時の学者と協議して赤穂浪士に切腹を
命じた
吉良公は、治水等の功績が大で、評判の良い名君
あったからである
 

名君(吉良上野介)を暗殺した者を忠臣(赤穂浪士)
したのでは、武士道にも反し芝居にならないので、
小説家、劇作家たちが、興味本位にいろいろのつくりごと
(増上寺畳替え、屏風の取り替え等)をして吉良公
極悪人に仕立て上げ、忠臣蔵として世間に広めた
ものである・・・・」
 
と、述べてありました。
物語と事件の真相は違うみたいですね

250px-Utagawa.jpg

 「もろもろのうらみつらみを泡と消し
 心やすけく 生きなんわれら」

76年に建てられた碑文の最後にこの短歌が
ありました

90年春に吉良町の有志と赤穂市の代表が浅野吉良
それぞれの菩提寺に墓参りをして双方の和解と交流が
始まったそうです

東京・泉岳寺義士祭でも行列パレードを終えた後
代表者が本所松坂町公園(吉良邸跡)を訪れ、吉良祭
の法要にも参列するそうです

赤穂浪士の討ち入から300年が経って、

吉良浅野も、ともに事件の犠牲者なのであるから、
 今の世の自分たちが仲を取り持ってやらなければ、
 永遠に仲直りすることが出来ない」

と、関係者は語っています

 

 1d3e988f.jpeg
 

本堂の横には、吉良義安、吉良義定、吉良上野介義央
の木像が祀られた御影堂があります。
 

 ffd27efc.jpeg
 

御影堂の前には、高家・吉良氏6代の墓所があります。
自然石の土台に立派なお墓がならんでいました。
 

 DSC_0415.JPG
 

歴代当主の墓より簡素で小さいのが吉良上野介
墓です。
何時も線香と花が絶えないそうですよ
 

DSC_0420.JPG

どなたが何時お参りに来ても良いように、墓所は
キレイに掃き清められてありました

 
高家・吉良氏は名門の流れを汲みながら、今川、
織田、徳川の間に挟まれて苦難の時が長かった
そうです

足利氏の支流として吉良荘に入り、繁栄と挫折を
繰り返して最後には、吉良の地から消えた一族・・・
終焉の地がこの墓所です。

 DSC_0437.JPG
 

墓所の奥には、鉄眼版一切経が納められた経蔵が
あります。
吉良上野介が遺した唯一の建物です。
 
創建当時の棟札には・・・
このお堂を拝み瞻(み)て 讃え喜ぶ結縁の人々
みんな速やかに、極楽浄土に生まれんことを・・・・
吉良上野介の願が書いてあります。
 
平成14年に没後300年を記念して改修工事を
行いました
その時に瓦葺きから杮葺きに変えて上品な
建物になったそうです
 

38b93349.jpg
 

墓所の中には、赤穂浪士の討ち入りで亡くなった
家臣の供養墓があります
 
「忠臣蔵」では敵方の手下として討ち取られました。
ここでは殿に忠義を尽くした赤穂浪士と同じように
家臣として墓所に祀られているのでしょうね
 

 DSC_0408.JPG
 

吉良上野介義央300年祭記念句会に参加した
人の作品です。
義央忌来てみて知るる名君ぞ
この地を訪れてみて吉良上野介が名君と分かって、
詠ったのでしょうね
 

k0430shi.jpg

 仮名手本・忠臣蔵で作られた憎き吉良上野介
吉良上野介が憎ければ憎いほど、赤穂浪士
同情し、討ち入りの場面が映えました。
吉良上野介を演じる役者もどれだけ悪者になれるかが
腕の見せどころですよね

今回、初めて吉良上野介の菩提所を訪ねてみました。
私も境内を散策して碑文を読み、お墓参りをしたら
いつの間にか吉良上野介の悪いイメージが消えて
しまいましたよ

夏めくや吉良と赤穂に通ふ風

吉良赤穂のわだかまりが無くなり、交流が進む
事を願います♪

 

カテゴリー: 愛知・西尾   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>