今回のいい寺は・・・・・
高家・吉良氏です。
高家は江戸時代にできた役職です。
将軍の代参や朝廷への使者、京からの勅使の接待や
接待役の大名への儀典指導が主な役目でした。
接待役の大名への儀典指導が主な役目でした。
高家に就いたのは、足利氏一門や室町時代の守護職、
著名な戦国大名の子孫でした。
著名な戦国大名の子孫でした。
名門の家には儀礼の方法が伝わっていますから、
高家の役職には名家が適任だったのでしょう
勅使に出す料理です
料理の献立や接待にも決め事があって接待役(饗応役)
の大名は一つずつ高家に指導を仰いだそうです
の大名は一つずつ高家に指導を仰いだそうです
高家の役職を創設した理由は・・・
「名家の出身旗本が一般旗本と同格では」
との幕府の配慮で家格を上げるためでした。
そして、高家は旗本でも官位は一般大名より上でした。
饗応役の大名は指導をお願いする為に、高家へそれなり
の授業料を払ったそうです。
の授業料を払ったそうです。
吉良上野介と浅野内匠頭の喧嘩の元は、授業料をちゃんと
払わなかったからという説もあります。
払わなかったからという説もあります。
高家は、役柄から多額の謝礼を頂き金銭的に潤って
いたそうです。
いたそうです。
吉良上野介は刃傷沙汰で、浅野内匠頭が切腹した
後に赤穂浪士の襲撃にそなえて頑丈な屋敷に造り
変えました。
後に赤穂浪士の襲撃にそなえて頑丈な屋敷に造り
変えました。
浪人も沢山雇って襲撃に備えました
吉良町の資料館に江戸屋敷の見取り図があります。
赤穂浪士が入った門
清水一学が討たれた庭
吉良上野介が隠れていた納屋
赤穂浪士に吉良上野介が討たれた場所
元禄時代の出来事が目に浮かぶような気がします
本懐を果たした赤穂浪士は殿・浅野内匠頭が眠る
泉岳寺に向かい墓前に本懐成就の報告をしました。
泉岳寺に向かい墓前に本懐成就の報告をしました。
浅野内匠頭と赤穂浪士が眠る東京・泉岳寺門前の
店には討ち入りの道具が揃っています
店には討ち入りの道具が揃っています
師走の雪の降りしきる夜、赤穂浪士は吉良邸・討ち入りを
決行しました
浪士は袖先に山形模様のそろいの羽織を着込み、
大石内蔵助が門前で「一打三流」の山麓流陣太鼓を
打ち鳴らします
太鼓の音で清水一学は「あれぞまさしく山麓流」と
赤穂浪士の討ち入りに気づき・・・
という場面は、歌舞伎の中の演出で、実際には羽織も
太鼓も無かったそうです。
それでも泉岳寺の一番のお土産は太鼓と羽織ですね
泉岳寺の門前で、おいしいきなこプリンが頂けるお店
「おしるこいもり」を発見してしまいました~~
高家・吉良氏の菩提所・華蔵寺の庭には柿の実が
沢山なっていました。
本堂の裏に庭があります。
深山幽谷を表した小堀遠州好みの庭となっています。
平庭の部分が枯池で中央に亀島を設けて
奥の雪見灯籠付近の出島で鶴を表しています
奥に見える壁は御影堂です。
その左横には茶室があります
吉良上野介はここで茶の湯を楽し和歌を嗜んだ
でしょう。
でしょう。
「雨雲は、今夜の空に かかれとも
晴行くままに、出る月かけ」
吉良上野介が詠った和歌です
書院の床の間に吉良上野介の書状が掛けてありました。
吉良上野介義央の花押です。
忠臣蔵は、昔から映画やテレビで上映されています。
ストーリーの本になっているのが歌舞伎の忠臣蔵で
歴史考証は行われてきませんでした
高家・吉良氏は騒動の責任をとらされて改易となり
歴史を調べる資料が乏しいそうです。
その中で、吉良町の郷土史家の研究で吉良家の
本来の姿が分かってきました。
本来の姿が分かってきました。
最近では、NHK大河ドラマ「元禄繚乱」で研究の
成果を取り入れてもらいました。
成果を取り入れてもらいました。
石坂浩二が演じた吉良上野介「義央」の読み方が
「よしなか」から「よしひさ」になったのもその一つです。
花押のなかに「久」の字が入っていますね。
吉良上野介は通称で、吉良義央が正式な名称
だそうです。
だそうです。
吉良義央も央が読めるように花押に「久」を入れた
みたいです。
みたいです。
他にも勅使の接待役を命じられる前から吉良上野介
と浅野内匠頭は面識があり浅野内匠頭の婚礼に
吉良上野介が出席した場面や、実際の喧嘩の
原因は不明であることなど史実に則った演出が
されていました。
と浅野内匠頭は面識があり浅野内匠頭の婚礼に
吉良上野介が出席した場面や、実際の喧嘩の
原因は不明であることなど史実に則った演出が
されていました。
御影堂に祀られる高家・吉良氏の祖・吉良義定の
木像です。
木像です。
室町時代の公家を思わせる出で立ちですね
吉良氏は幕府の名家を残す配慮で高家となりました。
吉良上野介は高家筆頭となりましたが殿中の
刃傷沙汰や赤穂浪士の討ち入りで高家の名を
汚してしまいました
刃傷沙汰や赤穂浪士の討ち入りで高家の名を
汚してしまいました
一度汚してしまった家に高家を続ける資格は
無かったかもしれませんね。
それが、吉良家改易の理由だったような気がします。
喧嘩の理由は分かりませんが、順風満帆の道に
思わぬ落とし穴がありましたね
思わぬ落とし穴がありましたね
喧嘩は吉良と浅野の両家をまき込んでしまいました
当主の行動や判断が家臣や一家の命運を左右する
事ってありますよね。
まさに吉良家と浅野家は当主の行動や判断が後の
家臣やお家の行く末を左右することになりましたね。
いつの時代もリーダーの行動と判断が下の人や
関わる人たちに大きな影響を与えることを考えると
リーダーの責任は重要ですね!!