今回のいい寺は・・・・
内津峠を越えて♪
内津峠を越えて♪
愛知県・春日井市と岐阜県・多治見市の境
内津峠です
美濃から信州に向かう国道19号線は
日本武尊から坂上田村麻呂まで大和朝廷の
東国平定の通り道でした
東国平定の通り道でした
江戸時代には信州・善光寺へ向かう道として
街道沿いはとても賑わったそうです
内津峠は尾張と美濃を結ぶ中継地として街道の
馬継駅がありました
その中継地で別の馬へと乗り換えるのだそうです。
今でいう道の駅みたいなものですね
馬継駅がありました
その中継地で別の馬へと乗り換えるのだそうです。
今でいう道の駅みたいなものですね
道の駅はその地域の特産品が売られていて、
見るだけでも楽しいですよね
見るだけでも楽しいですよね
人の往来もあって宿場町としても発展したそうです。
当時を偲ぶ建物が街道沿いにありました。
屋根の看板には「本家鵜飼源六製・金勢丸」
と、かいてあります。
昔は薬や味噌などの調味料が売られていたそうです
どこかに旅行に行く時は常備薬を持って行きますよね。
長旅には欠かせないお店だったのでしょう!
昔は薬や味噌などの調味料が売られていたそうです
どこかに旅行に行く時は常備薬を持って行きますよね。
長旅には欠かせないお店だったのでしょう!
峠を越えて美濃国・多治見市に入りました
多治見市のキャラクター「うながっぱ」です。
漫画家のやなせたかしさんがデザインしました
美味しいウナギと河童の伝説を合わせて生まれました。
ウナギは清流で美味しくなるそうですよ~
夏に訪れたうなぎ屋さんもおいしかったー
セラミックパークMINOを訪れました
自然の中にあるモダンな建物でした
中では陶器市などが催されていました。
お茶の道具と海外への輸出で成長した美濃焼
ですが、最近は人気が低迷しているそうです
いろいろな地域を訪れるたびに、日本って素晴らしい
文化やステキな景色がたくさんあるなーと思い知らされ
ます
内々神社の社殿も立派な造りでした
本殿と拝殿の間の衝立には見事な獅子の親子の
彫り物がしてありました。
彫り物がしてありました。
谷底に子を落とす親獅子
谷底からはい上がる力をつけさせる親の厳しい姿
ですね
ですね
私も自分が経験してみないと分からないってことが
よくある気がします。。。
よくある気がします。。。
この社殿は200年前に信州立川流の大工によって
造営されたそうです
信州立川流の大工は、彫り物を多用した作風によって
名声を広めていき、山梨・静岡・岐阜・滋賀・京都などに
作品を残しているそうです。
本殿の妻飾りには鶴と仙人。。。
その上に力士。。。
この力士の姿に東国平定へと向かった大和朝廷の
武将の姿を重ねているのでしょうか・・・・
武将の姿を重ねているのでしょうか・・・・
街道の往来によって職人の技術が各地に伝わって
いくのですね
いくのですね
夢窓疎石が作庭した境内庭園も街道によって
もたらされた文化かもしれません
街道は物の流通とともに技術や文化を各地に広めました。
そして、巡礼のために各地を訪れる人々の道でもありました。
内津峠を通る街道は名古屋から善光寺に向かう道と
信州から伊勢神宮に参る道を兼ねていました
巡礼者の往来によって街道沿いの寺社仏閣が賑わい
町に活気をもたらしたと思います
柿のお供えを見つけました♪
秋を感じますねーー
秋を感じますねーー
古事記や日本書紀に登場する歴史がありながら
ひっそりと静まりかえった境内。
一人静かに過ごしながら歴史に思いを馳せる事が
出来ます
出来ます
ただ、この静けさが世の中から忘れ去られるのでは・・・
と心配にもなります。
最近はただただ史跡を訪れるという人が少ないですね。
宗教ってなんだろうというところから、もっとわかりやすく
伝われば、お寺や神社にお参りする人が増えるかも
しれませんね
伝われば、お寺や神社にお参りする人が増えるかも
しれませんね
あとは、歴史のお勉強だけではなく、おいしいものがあると
行ってみたくなる。。。のは私だけでしょうか
行ってみたくなる。。。のは私だけでしょうか
次は江戸末期から明治にかけて変革の舞台になった
山口県の萩に行ってみます
山口県の萩に行ってみます
※いい寺★多治見を散策するはコチラ↓
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